JOURNAL

organ・紺野さんの白い器の話 ロックに生きるビストロの店主は、白い器に自由を見出す

organ・紺野さんの白い器の話 ロックに生きるビストロの店主は、白い器に自由を見出す

NIKKOを愛用する人をインタビュー。語られたのはあらゆる場面に寄り添う普遍性と、無垢ゆえに人と人をつなぐ懐の深さでした。第一回は西荻窪のビストロ「organ」の紺野さんです。 若い頃にアメリカに渡りロックスターを目指したこともある「organ(オルガン)」店主・紺野真さんは、独自の世界観を持った人。店内にはアナログのレコードや写真集、アンティークのミシンが置かれ、机も椅子もバラバラです。「物事を規定したくないんでしょうね」。そう話す紺野さんは予定調和を肯定しません。 メニューに対してもそう。「市場に行って素材と向き合い、それから店にある器を思い出してどんな料理にしようか頭をひねります。その時間が一番楽しい」。そんなワクワクするひと時に欠かせないのがNIKKOの白い器だそう。「とことん考えさえてくれるんですよ。例えばこのラビオリ。今回は白を活かそうと思ってシンプルに仕立てましたが、ソースの色に合わせてムール貝なんかを添えて遊ぶのもいい。可能性を与えてくれます」。紺野さんにとっての白い器は自由を尊ぶロックンロールに通じるものなのかもしれません。 今回紺野さんが使用した器のバックスタンプ organ(オルガン)東京都杉並区西荻南2-19-1203-5941-5388Instagram:organ_tokyo Text by Mio AmariPhoto by Kiyoko Eto

organ・紺野さんの白い器の話 ロックに生きるビストロの店主は、白い器に自由を見出す

NIKKOを愛用する人をインタビュー。語られたのはあらゆる場面に寄り添う普遍性と、無垢ゆえに人と人をつなぐ懐の深さでした。第一回は西荻窪のビストロ「organ」の紺野さんです。 若い頃にアメリカに渡りロックスターを目指したこともある「organ(オルガン)」店主・紺野真さんは、独自の世界観を持った人。店内にはアナログのレコードや写真集、アンティークのミシンが置かれ、机も椅子もバラバラです。「物事を規定したくないんでしょうね」。そう話す紺野さんは予定調和を肯定しません。 メニューに対してもそう。「市場に行って素材と向き合い、それから店にある器を思い出してどんな料理にしようか頭をひねります。その時間が一番楽しい」。そんなワクワクするひと時に欠かせないのがNIKKOの白い器だそう。「とことん考えさえてくれるんですよ。例えばこのラビオリ。今回は白を活かそうと思ってシンプルに仕立てましたが、ソースの色に合わせてムール貝なんかを添えて遊ぶのもいい。可能性を与えてくれます」。紺野さんにとっての白い器は自由を尊ぶロックンロールに通じるものなのかもしれません。 今回紺野さんが使用した器のバックスタンプ organ(オルガン)東京都杉並区西荻南2-19-1203-5941-5388Instagram:organ_tokyo Text by Mio AmariPhoto by Kiyoko Eto

NIKKOバックスタンプヒストリー

NIKKOバックスタンプヒストリー

今日にいたるまで、NIKKOの器には様々なバックスタンプが採用されました。今回はその中から代表的なものをご紹介します。古くからある喫茶店や老舗ホテル、人気のレストランなどで、白い器の裏に刻印されたスタンプを是非見つけてみて! 印刷や型押しで刻印されるNIKKOのバックスタンプは、窯や年代ごとに異なり、その製品が作られた年代、製造方法などを伝えてくれる貴重な情報源となっています。この伝統は、陶磁器がまだ高価で貴重な商品だった時代に遡り、製品の真正性を確認する手段のひとつだったと言われています。 NIKKOの歴史を紐解けば、1906年のニッコーの前身となる「林屋組」創業から始まります。日本近代窯業の父・ドイツ人技師ゴットフリート・ワグネルが、日本の陶磁器産業の発展に大きく貢献。そのワグネルから製陶技術を学んだ人物たちが「林屋組」を創業後、1908年に「日本硬質陶器株式会社」を金沢市長町に設立しました。その頃から、現在LOST AND FOUNDで人気となっているREMASTEREDラインまで、バックスタンプの歴史をご覧ください。

NIKKOバックスタンプヒストリー

今日にいたるまで、NIKKOの器には様々なバックスタンプが採用されました。今回はその中から代表的なものをご紹介します。古くからある喫茶店や老舗ホテル、人気のレストランなどで、白い器の裏に刻印されたスタンプを是非見つけてみて! 印刷や型押しで刻印されるNIKKOのバックスタンプは、窯や年代ごとに異なり、その製品が作られた年代、製造方法などを伝えてくれる貴重な情報源となっています。この伝統は、陶磁器がまだ高価で貴重な商品だった時代に遡り、製品の真正性を確認する手段のひとつだったと言われています。 NIKKOの歴史を紐解けば、1906年のニッコーの前身となる「林屋組」創業から始まります。日本近代窯業の父・ドイツ人技師ゴットフリート・ワグネルが、日本の陶磁器産業の発展に大きく貢献。そのワグネルから製陶技術を学んだ人物たちが「林屋組」を創業後、1908年に「日本硬質陶器株式会社」を金沢市長町に設立しました。その頃から、現在LOST AND FOUNDで人気となっているREMASTEREDラインまで、バックスタンプの歴史をご覧ください。

オープン3周年記念 小林和人の窯元探訪 〜陶芸家・會田雄亮に師事した福川成一さんを訪ねて〜

オープン3周年記念 小林和人の窯元探訪 〜陶芸家・會田雄亮に師事した福川成一さんを訪ねて〜

陶芸家・會田雄亮さんと言えば、『ネスカフェゴールドブレンド』のイメージキャラクター「違いのわかる男」としてご存知の方も多いはず。 「土は限りない言葉を秘めている。彼はその声を聞き分け、その温かな語りかけを器として現代に手渡していく」 このナレーションと共に、會田さんが練り上げの技術でマグカップをつくる姿が印象的なCMでした。 CMが放送されていた時期から少し前、1960-70年頃に會田さんによってデザインされ、NIKKO(日本硬質陶器時代)の硬質陶器素材で2013年頃まで製造されていたオーバルホワイトシリーズがあります。陶芸作品から新宿三井ビルの55広場といった環境造形まで、自然との調和を大切にする創作活動を続け、国内外で技術と作品の高い完成度を評価されてきた會田さんによるシリーズを何故NIKKOがつくることになったのか…その経緯は知られていません。しかし現代の食卓もまた、華やかに照らしてくれる存在として、良いものは未来に繋げていきたいというNIKKOの想いで、復刻が決まりました。 會田雄亮さんとはどんな人物だったのか…會田さんに師事した福川成一さんに話を聞くため、小林和人さんが「會田雄亮忍野窯」を訪ねました。 會田雄亮忍野窯の外観。反対側には富士山をのぞむことができる。 會田さんは富士山のシルエットが一番美しく見える土地を探して、自然豊かな山梨県忍野村に忍野窯を開いたといいます。窯に行く前にランチをしながらお話ししようということで福川成一さんと待ち合わせたのは、隣の静岡県の御殿場市にあるフレンチレストラン「sumi」。 sumi の外観。広い空、生い茂る木々、美しい植物との時間はあまりにも贅沢だ。 ここは、福川さんのお母様・スミさんが自宅を開放してフランス家庭料理の店としていた場所。娘さんの夫である須藤亮祐シェフが地元の新鮮な食材を使ったフランス料理を楽しめる店として昨年オープンした、庭も楽しめるレストランです。店内に入るとすぐ、象徴的なキャビネットが迎えてくれました。 キャビネットには福川さんのお気に入り食器がずらりと並ぶ。左下には會田さんの代表作と言えるキャセロールも。 小林さん「このキャセロールは會田さんが海外で金賞(※)をとった作品ですよね」(※1968年にイタリア ファエンツァ国際陶芸コンペで金賞を受賞)福川さん「はい。私は食器が好きだから色々見てきましたが、こんなに美しくいきおいのあるキャセロールは見たことがないです。傑作ですね。『いくらでも出すから売ってくれないか』なんて今でも言われます」 福川さんといえば、一級建築士事務所「ARK CREW」を設立し、ランドスケープアーキテクト又、大学講師など、ランドスケープの分野で活躍されています。小さい頃は素晴らしいサラリーマンになるように育てられたそう。しかし本人は何かの可能性を感じ、サラリーマンではない生き方として丁稚奉公をしてみたい!という想いがあり、”一番厳しい師匠“に付こうと相談し、紹介された會田雄亮さんのもとで修行をすることに。福川さん「一番厳しいところに行って、だめならば諦めて親父の言うサラリーマンになればいいんじゃないかと思って。だから焼き物がしたかったわけではなかったのですが、物作りの方法は何でも同じだからと言われてそれを信じて始めました」 今回の探訪は、會田さんの奥さま、暁美さんが福川さんを紹介してくれたことで実現。探訪には暁美さんも同行してくれた(写真左)。 そう笑いながら、會田さんの話が始まりました。福川さん「当時先生のところには確か3人のスタッフがいて、デザイン学校を出た知識のある人たちでした。先生から給料をもらって仕事をするのか、給料をもらえないけど弟子になるのか。と言われて仕事に組み込まれず色々広く学べるという弟子を選んだんです。同じ美術系でない総合大学出ということもあり、先生には本当に可愛がっていただいて、どこにでも一緒に行かせてもらいました。スキーに行ったり海に潜ったり、秋葉原電気街の買い物でさえも…」 忍野窯にある本棚の一部。會田さんはよく料理をしていただけあり、料理本もずらり。 會田さんが何を考えているかを知りたいと思い、會田さんの本棚にある本は全部読んだといいます。福川さん「小説から歴史物、料理本までいろいろとありました。後にこのアイデアはあそこからだな、と思うことがあったりして、おもしろかったですね。焼き物は覚えるのに3年と言いますが、寝なければ1年と思い必死に勉強しました。弟子になって一年でチーフになり新宿三井ビルの現場を任せていただきました。その後石油危機があり全てのプロジェクトが中止になって忍野のアトリエを任され、技術のないスタッフでも作れる付加価値のある食器を作ろうと、練り込みの和食器ラインを作りました。私が練り込みの縞の端切れを組み合わせて新しい模様を作るとすぐに先生に採用されるので、スタッフはその複雑な工程に辟易として、『もう福川さん作らないで下さい』と言われていましたね」 忍野窯には当時使われていた石膏型が並び、もう稼働はしていないはずなのに、まるで會田さんがそこに存在するような空間。 小林さん「一番厳しいと言われて紹介された會田さんは、実際に厳しい方だったのでしょうか」福川さん「当時いたスタッフ3人は多分相当絞られていましたね(笑)。厳しかったのかも知れませんが私は喜んでいました」小林さん「同じ熱量で向き合っていらっしゃったのですね」福川さん「でも怒るってことは本気ってことですからね。こっちは修行をなるべく短くしたいから、怒らせようともしていましたよ(笑)」 忍野窯の大きなテーブルに、ずらりと並べてくれたNIKKOオーバルシリーズのデッドストックを熱心に見る小林さん。 福川さん「NIKKOさんとの取り組みは、私がまだ駆け出しの頃だったと思います。初めて工場に行くときにまだ提案業務が全然進んでいなくて。先生は自分が行くとちゃんと提案をしなきゃいけないから、『おまえが行ってこい!』って…、NIKKOさんの真剣な姿勢を見て本当に申し訳なく感じました」 貴重なオーバルシリーズの石膏模型も出てきて、一同驚いた瞬間。当時販売時に同梱された説明書も保管されていた。 小林さん「こうやって會田さんの工房を訪れて当時の試作の数々を見ると、実際に手を動かして石膏を削り、カーブやエッジの厚みなどひとつひとつ点検していったことが伺えます。そのことによって、プロダクトでありながらもどこか息遣いを感じられるような、そんな有機的な魅力に繋がっているのかもしれません。豊かな時代ならではだと思いますよね」 福川さん「今ではシンプルな器が安く手に入りますが、残念だと思ってしまいます。自宅に人を呼ぶわけでもないし、今は器に興味がないんでしょうか。毎日の暮らしを大切にして喜びが必要ですね。良いものを選んで、毎日嬉しいと思えると幸せだと思います」この言葉に、深く頷く小林さん。 復刻するオーバルホワイトシリーズのサンプルを初めて見る福川さん。 福川さん「食器は、時代を遡るとヨーロッパの一流食器メーカーにもモダンデザインのものが多くあって、ものすごくおもしろかったですよね。だからもう一度先生の作品を復刻していただけるなんて、私にとっては大きな喜びです。もちろん挑戦ではあると思いますが、当時のようにデザインが輝いていた時代がもう一度やってきたらいいなと思いますね。例えば、いいなと思ってもなかなか手に入らない素敵な器があって、それでもどうにか手に入れたとします。そこにいたるまでの物語で、ワイン1本くらい飲めちゃいますよね」 今回NIKKOが復刻させた會田さんのラインは、デザインが暮らしの中で華やかに取り入れられたミッドセンチュリー期を象徴するのびやかな造形が特徴的なもの。この「デザイン」された白い器が、今では貴重になってしまったのかもしれません。福川さん「挑戦し続けることってものすごく大切で、先生に何を習ったのかというと、挑戦の持続ということかもしれません。ひとつの素晴らしい作品が生まれるには、ものすごい数のアイデアの下地が必要です。先生はその多くの可能性の中からひょいと拾い出すんです。そしてそれを間違いないかと疑い続けるのです」 忍野窯で最後に記念撮影。...

オープン3周年記念 小林和人の窯元探訪 〜陶芸家・會田雄亮に師事した福川成一さんを訪ねて〜

陶芸家・會田雄亮さんと言えば、『ネスカフェゴールドブレンド』のイメージキャラクター「違いのわかる男」としてご存知の方も多いはず。 「土は限りない言葉を秘めている。彼はその声を聞き分け、その温かな語りかけを器として現代に手渡していく」 このナレーションと共に、會田さんが練り上げの技術でマグカップをつくる姿が印象的なCMでした。 CMが放送されていた時期から少し前、1960-70年頃に會田さんによってデザインされ、NIKKO(日本硬質陶器時代)の硬質陶器素材で2013年頃まで製造されていたオーバルホワイトシリーズがあります。陶芸作品から新宿三井ビルの55広場といった環境造形まで、自然との調和を大切にする創作活動を続け、国内外で技術と作品の高い完成度を評価されてきた會田さんによるシリーズを何故NIKKOがつくることになったのか…その経緯は知られていません。しかし現代の食卓もまた、華やかに照らしてくれる存在として、良いものは未来に繋げていきたいというNIKKOの想いで、復刻が決まりました。 會田雄亮さんとはどんな人物だったのか…會田さんに師事した福川成一さんに話を聞くため、小林和人さんが「會田雄亮忍野窯」を訪ねました。 會田雄亮忍野窯の外観。反対側には富士山をのぞむことができる。 會田さんは富士山のシルエットが一番美しく見える土地を探して、自然豊かな山梨県忍野村に忍野窯を開いたといいます。窯に行く前にランチをしながらお話ししようということで福川成一さんと待ち合わせたのは、隣の静岡県の御殿場市にあるフレンチレストラン「sumi」。 sumi の外観。広い空、生い茂る木々、美しい植物との時間はあまりにも贅沢だ。 ここは、福川さんのお母様・スミさんが自宅を開放してフランス家庭料理の店としていた場所。娘さんの夫である須藤亮祐シェフが地元の新鮮な食材を使ったフランス料理を楽しめる店として昨年オープンした、庭も楽しめるレストランです。店内に入るとすぐ、象徴的なキャビネットが迎えてくれました。 キャビネットには福川さんのお気に入り食器がずらりと並ぶ。左下には會田さんの代表作と言えるキャセロールも。 小林さん「このキャセロールは會田さんが海外で金賞(※)をとった作品ですよね」(※1968年にイタリア ファエンツァ国際陶芸コンペで金賞を受賞)福川さん「はい。私は食器が好きだから色々見てきましたが、こんなに美しくいきおいのあるキャセロールは見たことがないです。傑作ですね。『いくらでも出すから売ってくれないか』なんて今でも言われます」 福川さんといえば、一級建築士事務所「ARK CREW」を設立し、ランドスケープアーキテクト又、大学講師など、ランドスケープの分野で活躍されています。小さい頃は素晴らしいサラリーマンになるように育てられたそう。しかし本人は何かの可能性を感じ、サラリーマンではない生き方として丁稚奉公をしてみたい!という想いがあり、”一番厳しい師匠“に付こうと相談し、紹介された會田雄亮さんのもとで修行をすることに。福川さん「一番厳しいところに行って、だめならば諦めて親父の言うサラリーマンになればいいんじゃないかと思って。だから焼き物がしたかったわけではなかったのですが、物作りの方法は何でも同じだからと言われてそれを信じて始めました」 今回の探訪は、會田さんの奥さま、暁美さんが福川さんを紹介してくれたことで実現。探訪には暁美さんも同行してくれた(写真左)。 そう笑いながら、會田さんの話が始まりました。福川さん「当時先生のところには確か3人のスタッフがいて、デザイン学校を出た知識のある人たちでした。先生から給料をもらって仕事をするのか、給料をもらえないけど弟子になるのか。と言われて仕事に組み込まれず色々広く学べるという弟子を選んだんです。同じ美術系でない総合大学出ということもあり、先生には本当に可愛がっていただいて、どこにでも一緒に行かせてもらいました。スキーに行ったり海に潜ったり、秋葉原電気街の買い物でさえも…」 忍野窯にある本棚の一部。會田さんはよく料理をしていただけあり、料理本もずらり。 會田さんが何を考えているかを知りたいと思い、會田さんの本棚にある本は全部読んだといいます。福川さん「小説から歴史物、料理本までいろいろとありました。後にこのアイデアはあそこからだな、と思うことがあったりして、おもしろかったですね。焼き物は覚えるのに3年と言いますが、寝なければ1年と思い必死に勉強しました。弟子になって一年でチーフになり新宿三井ビルの現場を任せていただきました。その後石油危機があり全てのプロジェクトが中止になって忍野のアトリエを任され、技術のないスタッフでも作れる付加価値のある食器を作ろうと、練り込みの和食器ラインを作りました。私が練り込みの縞の端切れを組み合わせて新しい模様を作るとすぐに先生に採用されるので、スタッフはその複雑な工程に辟易として、『もう福川さん作らないで下さい』と言われていましたね」 忍野窯には当時使われていた石膏型が並び、もう稼働はしていないはずなのに、まるで會田さんがそこに存在するような空間。 小林さん「一番厳しいと言われて紹介された會田さんは、実際に厳しい方だったのでしょうか」福川さん「当時いたスタッフ3人は多分相当絞られていましたね(笑)。厳しかったのかも知れませんが私は喜んでいました」小林さん「同じ熱量で向き合っていらっしゃったのですね」福川さん「でも怒るってことは本気ってことですからね。こっちは修行をなるべく短くしたいから、怒らせようともしていましたよ(笑)」 忍野窯の大きなテーブルに、ずらりと並べてくれたNIKKOオーバルシリーズのデッドストックを熱心に見る小林さん。 福川さん「NIKKOさんとの取り組みは、私がまだ駆け出しの頃だったと思います。初めて工場に行くときにまだ提案業務が全然進んでいなくて。先生は自分が行くとちゃんと提案をしなきゃいけないから、『おまえが行ってこい!』って…、NIKKOさんの真剣な姿勢を見て本当に申し訳なく感じました」 貴重なオーバルシリーズの石膏模型も出てきて、一同驚いた瞬間。当時販売時に同梱された説明書も保管されていた。 小林さん「こうやって會田さんの工房を訪れて当時の試作の数々を見ると、実際に手を動かして石膏を削り、カーブやエッジの厚みなどひとつひとつ点検していったことが伺えます。そのことによって、プロダクトでありながらもどこか息遣いを感じられるような、そんな有機的な魅力に繋がっているのかもしれません。豊かな時代ならではだと思いますよね」 福川さん「今ではシンプルな器が安く手に入りますが、残念だと思ってしまいます。自宅に人を呼ぶわけでもないし、今は器に興味がないんでしょうか。毎日の暮らしを大切にして喜びが必要ですね。良いものを選んで、毎日嬉しいと思えると幸せだと思います」この言葉に、深く頷く小林さん。 復刻するオーバルホワイトシリーズのサンプルを初めて見る福川さん。 福川さん「食器は、時代を遡るとヨーロッパの一流食器メーカーにもモダンデザインのものが多くあって、ものすごくおもしろかったですよね。だからもう一度先生の作品を復刻していただけるなんて、私にとっては大きな喜びです。もちろん挑戦ではあると思いますが、当時のようにデザインが輝いていた時代がもう一度やってきたらいいなと思いますね。例えば、いいなと思ってもなかなか手に入らない素敵な器があって、それでもどうにか手に入れたとします。そこにいたるまでの物語で、ワイン1本くらい飲めちゃいますよね」 今回NIKKOが復刻させた會田さんのラインは、デザインが暮らしの中で華やかに取り入れられたミッドセンチュリー期を象徴するのびやかな造形が特徴的なもの。この「デザイン」された白い器が、今では貴重になってしまったのかもしれません。福川さん「挑戦し続けることってものすごく大切で、先生に何を習ったのかというと、挑戦の持続ということかもしれません。ひとつの素晴らしい作品が生まれるには、ものすごい数のアイデアの下地が必要です。先生はその多くの可能性の中からひょいと拾い出すんです。そしてそれを間違いないかと疑い続けるのです」 忍野窯で最後に記念撮影。...

#贈りもの vol.1 小林和人さんから method山田遊さんへ

#贈りもの vol.1 小林和人さんから method山田遊さんへ

気になるあの人が大切な人へ贈りものを選ぶときの話、ご紹介します。 小林さん:「山田遊くんは吉祥寺が地元で、まだラウンダバウトが出来た頃、たまに寄ってくれていたんです。実際に話すようになったのは、建築系の雑誌の座談会だったかな。共通の友人も多く、デザイン系の集まりでよく会う関係性になり、去年彼が家を建てたときにはメディア向けのオープンハウス前夜に仲間と共に招いてくれました。その日、仕事が終わってから吉祥寺のハモニカ横丁で、華やかな場の手土産に丸鶏を買いました。分厚めのポリ袋に入った熱々の鶏を、さらに有料の白いビニールに入れてもらい、ワクワクしながら向かいました。将来的にはギャラリー的展開もしたいと話していた印象的なエントランスからすぐのリビングに、既に皆が集まっていました。僕にとっては久々のワイワイした場だったので嬉しくなってしまって、獲物をとった狩猟民の気分で、手にした鶏を高らかに持ち上げて見せたんです。その瞬間、モルタル洗い出しの真新しい床の上に油がどばーーーーっと流れ落ちてきてしまって…。すぐさま、キッチンの流しで布巾を絞ろうとするも、まだ水が通っていない状態で、大急ぎで植栽用の水場で絞った雑巾で、映画『ベスト・キット』の窓磨きシーンを思い出しながら、祈る様な気持ちで拭きました。もう大惨事でした。設計を担当した建築家の友人も『こうなったら全面オイル仕上げかな』なんてフォローしてくれるも、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。かと思えば、ブックセレクターの友人は寿司だったかな、大人な手土産を持参していて…。差し出し方の違いを見せつけられました(笑)。 翌日聞いたらシミは消えていたようで、心底安堵しました。そんななくても良いようなエピソードを添えて、今回改めて山田遊くんに新居祝いに贈りたいと思ったのが、ALESSIの『ソクラテスワインオープナー』です。物にまつわる仕事をする彼には、やっぱりいいものを贈りたいという想いがあり、ジャスパー・モリソンのプロダクトは色々と持っていそうで迷いましたが、LOST AND FOUNDに来てくれたときに少し探りは入れていたので(笑)。ジャスパー・モリソン自身のコメントによれば、このパンダグラフ構造のボトルオープナーはテコの原理で抜きやすくとても優れているのに、世の中から姿を消しつつあることを残念に思い、復活させるのが自分の使命だと思ったそうです。発売されたのが1998年、僕が店をオープンしたのが1999年、そして山田くんも独立したのが2000年頃で、同じ時間を共有してきたと思いました。 もしもすでに愛用しているボトルオープナーがあったとしても、今日はどれを使おうかと迷う楽しみができるでしょうし、オープナーの登場シーンって華やかでいいすよね。そういうときに会話が盛り上がるアイテムでもあると思い、確実に気に入ってもらえると思いました。デザイナーがデザインしたものであるにも関わらず、アノニマスな佇まいに留まっていることも素晴らしい。そんな想いで、選びました。自分が贈り物を選ぶときは、まず、”好き“なものであることを大事にしています。でも押し付けにならないようにも注意しています。手仕事のものは、ちょっとでも好みとずれると相手にとっては出番が少なくなります。プロダクトとしての一歩引いた立ち位置、プレゼントとしての主役の座を狙いに行かない慎ましさを大事に考えています。そういうものを選ぶとき、LOST AND FOUNDはとてもいいんですよね(笑)」 送る人小林 和人 @kazutokobayashi1975年東京都生まれ。1999年多摩美術大学卒業後、国内外の生 活用品を扱う「Roundabout」を吉祥寺にオープン(2016年に代々木上原に移転)。2008年には非日常にやや針の振れた温度の品々を展開する「OUTBOUND」を始動。両店舗のすべての商品のセレクトや店内ディスプレイ、展覧会の企画を手がける。「LOST AND FOUND」ではセレクターを務める。 <記事内紹介商品>   interview & text by Sahoko Seki

#贈りもの vol.1 小林和人さんから method山田遊さんへ

気になるあの人が大切な人へ贈りものを選ぶときの話、ご紹介します。 小林さん:「山田遊くんは吉祥寺が地元で、まだラウンダバウトが出来た頃、たまに寄ってくれていたんです。実際に話すようになったのは、建築系の雑誌の座談会だったかな。共通の友人も多く、デザイン系の集まりでよく会う関係性になり、去年彼が家を建てたときにはメディア向けのオープンハウス前夜に仲間と共に招いてくれました。その日、仕事が終わってから吉祥寺のハモニカ横丁で、華やかな場の手土産に丸鶏を買いました。分厚めのポリ袋に入った熱々の鶏を、さらに有料の白いビニールに入れてもらい、ワクワクしながら向かいました。将来的にはギャラリー的展開もしたいと話していた印象的なエントランスからすぐのリビングに、既に皆が集まっていました。僕にとっては久々のワイワイした場だったので嬉しくなってしまって、獲物をとった狩猟民の気分で、手にした鶏を高らかに持ち上げて見せたんです。その瞬間、モルタル洗い出しの真新しい床の上に油がどばーーーーっと流れ落ちてきてしまって…。すぐさま、キッチンの流しで布巾を絞ろうとするも、まだ水が通っていない状態で、大急ぎで植栽用の水場で絞った雑巾で、映画『ベスト・キット』の窓磨きシーンを思い出しながら、祈る様な気持ちで拭きました。もう大惨事でした。設計を担当した建築家の友人も『こうなったら全面オイル仕上げかな』なんてフォローしてくれるも、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。かと思えば、ブックセレクターの友人は寿司だったかな、大人な手土産を持参していて…。差し出し方の違いを見せつけられました(笑)。 翌日聞いたらシミは消えていたようで、心底安堵しました。そんななくても良いようなエピソードを添えて、今回改めて山田遊くんに新居祝いに贈りたいと思ったのが、ALESSIの『ソクラテスワインオープナー』です。物にまつわる仕事をする彼には、やっぱりいいものを贈りたいという想いがあり、ジャスパー・モリソンのプロダクトは色々と持っていそうで迷いましたが、LOST AND FOUNDに来てくれたときに少し探りは入れていたので(笑)。ジャスパー・モリソン自身のコメントによれば、このパンダグラフ構造のボトルオープナーはテコの原理で抜きやすくとても優れているのに、世の中から姿を消しつつあることを残念に思い、復活させるのが自分の使命だと思ったそうです。発売されたのが1998年、僕が店をオープンしたのが1999年、そして山田くんも独立したのが2000年頃で、同じ時間を共有してきたと思いました。 もしもすでに愛用しているボトルオープナーがあったとしても、今日はどれを使おうかと迷う楽しみができるでしょうし、オープナーの登場シーンって華やかでいいすよね。そういうときに会話が盛り上がるアイテムでもあると思い、確実に気に入ってもらえると思いました。デザイナーがデザインしたものであるにも関わらず、アノニマスな佇まいに留まっていることも素晴らしい。そんな想いで、選びました。自分が贈り物を選ぶときは、まず、”好き“なものであることを大事にしています。でも押し付けにならないようにも注意しています。手仕事のものは、ちょっとでも好みとずれると相手にとっては出番が少なくなります。プロダクトとしての一歩引いた立ち位置、プレゼントとしての主役の座を狙いに行かない慎ましさを大事に考えています。そういうものを選ぶとき、LOST AND FOUNDはとてもいいんですよね(笑)」 送る人小林 和人 @kazutokobayashi1975年東京都生まれ。1999年多摩美術大学卒業後、国内外の生 活用品を扱う「Roundabout」を吉祥寺にオープン(2016年に代々木上原に移転)。2008年には非日常にやや針の振れた温度の品々を展開する「OUTBOUND」を始動。両店舗のすべての商品のセレクトや店内ディスプレイ、展覧会の企画を手がける。「LOST AND FOUND」ではセレクターを務める。 <記事内紹介商品>   interview & text by Sahoko Seki

LOST AND FOUND 「飲食店のUTSUWA  Vol.4 organ」

LOST AND FOUND 「飲食店のUTSUWA Vol.4 organ」

NIKKOとさまざまな取り組みをご一緒している飲食店のプロフェッショナルたち。そんな彼らの器選びにおけるこだわりや器に盛り付ける一品にかけた想いなど、店舗紹介とともに心ゆくまで話していただく連載「飲食店のUTSUWA」、早くも四回目となりました。 今回お話を伺うビストロ「organ」は、2011年に人通りもまばらで昔ながらの個人商店と住宅が混在する西荻窪にオープンし、マイナーだった町に人を呼ぶ存在となった名店。2005年に三軒茶屋の外れにオープンしたナチュラルワインの先駆けビストロ「uguisu」の姉妹店として誕生しました。どちらも厳選されたナチュラルワインとこだわり抜いた食材を最大限に活かした、美しく美味しい料理を提供するお店です。オーナーシェフの紺野真さんは、昨年麻布台ヒルズにオープンした、イギリスのホームファニシングショップ「ザ・コンランショップ」の日本初のレストラン「orby」でヘッドシェフも務めています。人気のブランチメニューを作っていただきながら、お話しを伺いました。 カルチャーの香りが漂う、通い詰めたくなるレストラン 机も椅子もライトも、2つとして同じものが見当たらない店内は、古いものとロック好きな紺野さんらしさがたっぷり詰まっていて、目に入るもの全てがさりげなく、でも完璧なバランスを保っています。ゆっくりとくつろげるカフェのようでも、音楽を楽しむバーのようでもある……月日を重ねるごとに文化の年輪から滲み出てくるような居心地の良い空気感は、「どうぞ好きなように楽しんでね」と出迎えてくれているよう。 1人でも仲間とでもいい、使い勝手の良い雰囲気を作り出しているのは、紺野さんやスタッフの方々も同じように肩肘張らずに楽しもうとする姿勢からくるものなのかもしれません。 レストランは料理だけを提供しているだけじゃない!と紺野さん。店内に置かれたアナログのレコードたちや古いミシン、写真集などが物語る世界観も、その一つ。訪れる度に新しい発見がある店内では、もちろん、スタッフたちとの会話も大切な一つです。 ソースを中心に据えた器選び 父親の仕事の関係でアメリカの大学に通い、西海岸のカフェムーブメントをリアルに感じてきた紺野さんは、帰国後に独学で料理を始め、何かに縛られることなく独自のスタイルで自由に料理してきたといいます。 「デンマークのレストランNOMAが有名になったのは10年くらい前かな、僕もコペンハーゲンや北欧の飲食店に行きましたが、みんなすごく影響を受けましたよね。ノマディック料理ってフランス料理のようなソースを大切とする世界とは違って、発酵や素材そのものが生かされる文化。素材にすごくフォーカスする料理だから和食と親和性がありますよね。NOMAの人たちも日本が大好きで何度も来日していて、影響を受けていると思うんです。だから、素材感のある日本の作家ものの陶器がすごくフィットしたんだと思います。」 カウンターには作家ものの器たちがずらりと並びます。とある作家に特注で作ってもらったものは、作家自らが「オルガン皿」と命名したものもあるんだそう。 「僕もお店を始めた頃から、いち早く日本の作家の陶器を使ってきたし今でも使っています。ただ、僕はクラシックなフランス料理は絶対に外せない。メニューには自分の創作料理だけでなく、必ず『フランスの名前のついた料理』というのを入れるようにしています。例えば、オランデーズソースとかアメリケーヌソースとかね。フランス料理を大切に思うと、ソースが特に大事になってくる。」 「素材感のある作家もののお皿が悪いわけではないのですが、高温で焼いて釉薬がかかっているツルッとした白いお皿が使い勝手が良いなと思って、最近は一周まわって白い磁器を使うことが多いです。昔のフランス料理に使われていた模様の入った器はtoo muchですが、白に金縁の入ったお皿にじゃがいものピューレとブータンノアールなどの料理を乗せるとすごくかっこいいいなと、改めて白い磁器の良さを感じています。」 「NIKKOの器はとにかく強いし、料理の邪魔をしない。表面がツルッとした器でないとソースを流した時に、陶器が吸ってしまったり滲んだりしてイメージ通りにならないことも多い。ソースのラインはパキッと鮮やかにさせたいんです。それに、素材感のある器にフォークナイフや、シルバーのスプーンや箸だとお客様のギギッという音に耳が向いてしまったりしますしね。その点、日本は箸文化だから素材感のある陶器が発達したんでしょうね。そして、heavy-dutyに耐えうるところ。毎日毎日何年も使うものだから、やっぱり強くないとね。」 一周まわって白い磁器のポテンシャルに気がついた 「先日、LOST AND FOUNDに行ってきました。ヨーグルトを入れた蓋付きの器は以前から使っているんですが、今回は変形オーバルのお皿が良いなと思って購入してきました。まだ使ってはないけどグラタン皿もありますし、このお店で購入したお皿だけでも結構たくさんありますよ。」と、購入したばかりのオーバル皿にアスパラとオランデーヌソースの一品を盛り付けてくれました。 「普通のオーバルじゃなく、少しぽってりしたフォルムがいいなと思って。これ、なんとも言えない形が他になくていいね!」器のことは常に考えていて。定期的に器屋などに足を運ぶ、と紺野さん。いつも即決で購入するそうです。 「どんな料理に合うかなと少しは考えますが、ほとんどは直感ですね。」 人気のブランチタイムは毎週土・日の12時から15時まで。昼飲みにぴったりなナチュラルワインの魅力をさらに引き立てる朝食系、野菜系、魚介系、お肉系と様々なアラカルトたちが、食べやすい小さめなポーションでラインナップしています。ブランチメニューはバチっと決めすぎずに、当日の気分やイメージで少し変えたりしながら気負わずに作るそうです。ぜひ一度訪れて、この世界観の中で絶妙な食材の組み合わせやこだわりのソースを楽しんでいただけたら! 紺野さんのお気に入りが溢れる店内で、ニュートラルな存在感を放っている白いNIKKOの器とのバランスにも注目していただけたら嬉しいです。 <店舗情報>organ.https://www.instagram.com/organ_tokyo/住所:東京都杉並区西荻南2-19-12電話暗号:03-5941-5388営業時間:火・水・木・金 17:00-23:00 ( L.O 21:00 それ以降にご入店の場合はワインバーとして利用可)土・日 12:00-15:00 (...

LOST AND FOUND 「飲食店のUTSUWA Vol.4 organ」

NIKKOとさまざまな取り組みをご一緒している飲食店のプロフェッショナルたち。そんな彼らの器選びにおけるこだわりや器に盛り付ける一品にかけた想いなど、店舗紹介とともに心ゆくまで話していただく連載「飲食店のUTSUWA」、早くも四回目となりました。 今回お話を伺うビストロ「organ」は、2011年に人通りもまばらで昔ながらの個人商店と住宅が混在する西荻窪にオープンし、マイナーだった町に人を呼ぶ存在となった名店。2005年に三軒茶屋の外れにオープンしたナチュラルワインの先駆けビストロ「uguisu」の姉妹店として誕生しました。どちらも厳選されたナチュラルワインとこだわり抜いた食材を最大限に活かした、美しく美味しい料理を提供するお店です。オーナーシェフの紺野真さんは、昨年麻布台ヒルズにオープンした、イギリスのホームファニシングショップ「ザ・コンランショップ」の日本初のレストラン「orby」でヘッドシェフも務めています。人気のブランチメニューを作っていただきながら、お話しを伺いました。 カルチャーの香りが漂う、通い詰めたくなるレストラン 机も椅子もライトも、2つとして同じものが見当たらない店内は、古いものとロック好きな紺野さんらしさがたっぷり詰まっていて、目に入るもの全てがさりげなく、でも完璧なバランスを保っています。ゆっくりとくつろげるカフェのようでも、音楽を楽しむバーのようでもある……月日を重ねるごとに文化の年輪から滲み出てくるような居心地の良い空気感は、「どうぞ好きなように楽しんでね」と出迎えてくれているよう。 1人でも仲間とでもいい、使い勝手の良い雰囲気を作り出しているのは、紺野さんやスタッフの方々も同じように肩肘張らずに楽しもうとする姿勢からくるものなのかもしれません。 レストランは料理だけを提供しているだけじゃない!と紺野さん。店内に置かれたアナログのレコードたちや古いミシン、写真集などが物語る世界観も、その一つ。訪れる度に新しい発見がある店内では、もちろん、スタッフたちとの会話も大切な一つです。 ソースを中心に据えた器選び 父親の仕事の関係でアメリカの大学に通い、西海岸のカフェムーブメントをリアルに感じてきた紺野さんは、帰国後に独学で料理を始め、何かに縛られることなく独自のスタイルで自由に料理してきたといいます。 「デンマークのレストランNOMAが有名になったのは10年くらい前かな、僕もコペンハーゲンや北欧の飲食店に行きましたが、みんなすごく影響を受けましたよね。ノマディック料理ってフランス料理のようなソースを大切とする世界とは違って、発酵や素材そのものが生かされる文化。素材にすごくフォーカスする料理だから和食と親和性がありますよね。NOMAの人たちも日本が大好きで何度も来日していて、影響を受けていると思うんです。だから、素材感のある日本の作家ものの陶器がすごくフィットしたんだと思います。」 カウンターには作家ものの器たちがずらりと並びます。とある作家に特注で作ってもらったものは、作家自らが「オルガン皿」と命名したものもあるんだそう。 「僕もお店を始めた頃から、いち早く日本の作家の陶器を使ってきたし今でも使っています。ただ、僕はクラシックなフランス料理は絶対に外せない。メニューには自分の創作料理だけでなく、必ず『フランスの名前のついた料理』というのを入れるようにしています。例えば、オランデーズソースとかアメリケーヌソースとかね。フランス料理を大切に思うと、ソースが特に大事になってくる。」 「素材感のある作家もののお皿が悪いわけではないのですが、高温で焼いて釉薬がかかっているツルッとした白いお皿が使い勝手が良いなと思って、最近は一周まわって白い磁器を使うことが多いです。昔のフランス料理に使われていた模様の入った器はtoo muchですが、白に金縁の入ったお皿にじゃがいものピューレとブータンノアールなどの料理を乗せるとすごくかっこいいいなと、改めて白い磁器の良さを感じています。」 「NIKKOの器はとにかく強いし、料理の邪魔をしない。表面がツルッとした器でないとソースを流した時に、陶器が吸ってしまったり滲んだりしてイメージ通りにならないことも多い。ソースのラインはパキッと鮮やかにさせたいんです。それに、素材感のある器にフォークナイフや、シルバーのスプーンや箸だとお客様のギギッという音に耳が向いてしまったりしますしね。その点、日本は箸文化だから素材感のある陶器が発達したんでしょうね。そして、heavy-dutyに耐えうるところ。毎日毎日何年も使うものだから、やっぱり強くないとね。」 一周まわって白い磁器のポテンシャルに気がついた 「先日、LOST AND FOUNDに行ってきました。ヨーグルトを入れた蓋付きの器は以前から使っているんですが、今回は変形オーバルのお皿が良いなと思って購入してきました。まだ使ってはないけどグラタン皿もありますし、このお店で購入したお皿だけでも結構たくさんありますよ。」と、購入したばかりのオーバル皿にアスパラとオランデーヌソースの一品を盛り付けてくれました。 「普通のオーバルじゃなく、少しぽってりしたフォルムがいいなと思って。これ、なんとも言えない形が他になくていいね!」器のことは常に考えていて。定期的に器屋などに足を運ぶ、と紺野さん。いつも即決で購入するそうです。 「どんな料理に合うかなと少しは考えますが、ほとんどは直感ですね。」 人気のブランチタイムは毎週土・日の12時から15時まで。昼飲みにぴったりなナチュラルワインの魅力をさらに引き立てる朝食系、野菜系、魚介系、お肉系と様々なアラカルトたちが、食べやすい小さめなポーションでラインナップしています。ブランチメニューはバチっと決めすぎずに、当日の気分やイメージで少し変えたりしながら気負わずに作るそうです。ぜひ一度訪れて、この世界観の中で絶妙な食材の組み合わせやこだわりのソースを楽しんでいただけたら! 紺野さんのお気に入りが溢れる店内で、ニュートラルな存在感を放っている白いNIKKOの器とのバランスにも注目していただけたら嬉しいです。 <店舗情報>organ.https://www.instagram.com/organ_tokyo/住所:東京都杉並区西荻南2-19-12電話暗号:03-5941-5388営業時間:火・水・木・金 17:00-23:00 ( L.O 21:00 それ以降にご入店の場合はワインバーとして利用可)土・日 12:00-15:00 (...

行方ひさこのLOST AND FOUNDなキッチン 麻生要一郎編

行方ひさこのLOST AND FOUNDなキッチン 麻生要一郎編

時代を明るくリードしてくれる、様々な分野にまつわるプロフェッショナルたち。そんなプロたちが選んだLOST AND FOUNDのアイテムと共にお送りする「行方ひさこのLOST ANDFOUNDなキッチン」。仕事、プライベート共にたくさんのものを見て、真摯に向き合ってきた彼らだからこその、なにかを選択する時の視点やこだわり、向き合う姿勢などを掘り下げていきます。 麻生要一郎 1977年1月18日生まれ。茨城県水戸市出身。家庭的な味わいのお弁当のケータリングが他にはないおいしさと口コミで評判になり、日々の食事を記録したインスタグラムでも多くのフォロワーを獲得。20年に初の著書『僕の献立――本日もお疲れ様でした』を、22年に『僕のいたわり飯』、24年に『僕のたべもの日記365』を光文社から刊行。現在は雑誌やウェブサイトで連載も多数。 Instagram:@yoichiro_aso 今回は麻生要一郎さんの素敵なアトリエにお邪魔して、ポテトグラタンときゅうりのディップをいただきながら、お話をうかがいました。ほっと落ち着ける家庭的なお弁当のケータリングが口コミで広がり、雑誌へのレシピ提供や食や暮らしに関するエッセイの執筆などをするようになった要一郎さん。温かい料理は一体どんな空間で作り出されるのでしょうか。 アトリエに一歩入ると、真っ先に目に入るのは大きなカウンターキッチン。そこには調味料や食器、お鍋など、どれも手を伸ばせばすぐに使いたいものに届くように並べられていて、その隙間にはパートナーが育てているというグリーンや可愛らしい置物などお気に入りのアイテムたちが並んでいます。奥には庭に続く開放的で大きな窓があり、庭の観葉植物の間から気持ちの良い光が差し込んでいます。SNSを見ると、毎日のように友人たちが食卓を囲んでいる姿が楽しそうな麻生家。以前から、写真で見る表情や紡がれる言葉からも滲み出る愛情深さと大らかさに、いつかお会いしてみたい!と思っていましたが、手料理までいただけるとはなんとも役得が過ぎました。 お弁当屋!? 行方:今の仕事を始めたきっかけは何だったのでしょうか。 要一郎さん:編集者の友達の何気ない「暇だったらお弁当を作ってくれない?」という言葉に、撮影用のお弁当を作ったのが始まりです。十数個だったかな。その現場で食べた人が他の現場で頼んでくれたりして、数珠繋ぎに広がって注文が増えていったのが楽しかったし、嬉しかった。ところがある日、とある撮影で美術館での撮影にお弁当を届けに行ったところ、守衛さんが「お弁当屋さんがきましたー!」と大声で叫んだ声にギョッとして。あれ?僕はお弁当屋さんだったんだっけって(笑)。 行方:急にお弁当屋さんっていう肩書きがついた(笑)! 要一郎さん:義母の介護やコロナ禍もあって、お弁当はほどほどでいいかなと思ってたの。ファッションの展示会などにも頼まれてお弁当を持っていくことも増えたんだけど、お昼用に作って持って行ったのに、スタッフの方から「夜中に食べました。美味しかったです!」なんて言われると心配になる。それに展示会は誘惑も多くて、お弁当を20個届けて、7万円のパンツを買って、3万円のシャツを頼んで……コートなんて買ったら目も当てられない! 行方:同じようなこと、ありますあります、やらかしてます。ギャラがほとんど出ないのに、取材に行った先で15万円の壺を買ってしまったり! 要一郎さん:笑。でも、それがあっていろんな方々と知り合いになったり本を出すきっかけになったから、自分にとってのターニングポイントみたいな、ひとつのきっかけになったなと思ってる。 行方: 守衛さんは、お弁当を届けてくれた人をお弁当屋さんとしか言いようがなかったんでしょうね(笑)。 要一郎さん: 笑。雑誌の取材などで、「屋号はなんですか?」と聞かれたりしたけど、自分の名前で受けてるから屋号なんてないし、急に仰々しい名前を名乗っても変だし……肩書きもないので名前でお願いしますって言ってたの(笑)。 行方:今も肩書きはないですよね? 要一郎さん:ないない。 行方:ですよね。出版している料理本に言葉を書いたことによって連載の依頼がくるようになったんですか? 要一郎さん:そうそう。 行方:要一郎さんの言葉って、気取りがなく温かくていいですよね。 来るもの拒まず、受け入れてみる 要一郎さん;僕は光文社から3冊の本を出させてもらっているんだけど、本を出すきっかけになったのは、女性誌にお弁当を持って行ったことがきっかけ。女優さんの取材現場にお弁当を届けに行ったら、しばらくしてその担当者から着信があって、メールならとにかく電話がかかってくることなんてあまりないから、かなりドキドキして。「ひょっとしてあの女優さんがお腹をこわしたんじゃないか….」と思って女優さんのXを見て異常がないか調べてから、折り返しの電話をしたら、「うちの出版社から本を出しませんか」って話だったから、あー、よかったと思って(笑)。 行方:悪いことが起きてないか、調べてから電話したんですね、さすが(笑)!要一郎さんは、目標を決めてゴールを目指してやってきたというよりは、心地よく流されているというか流れているというか、とても自然体ですよね。 要一郎さん:そうそう。みなさん計画的に巧みに計算して行動していると思うけれど、僕は色々と惰性で(笑)。 行方:惰性ではないですよ(笑)。なりたい自分に頑張ってなる人もいるけれど、周りからの押しや推しでならされちゃう、気が付いたらなっていたっていう人もいるし、どちらが良いわけでも悪いわけでもないですよね。...

行方ひさこのLOST AND FOUNDなキッチン 麻生要一郎編

時代を明るくリードしてくれる、様々な分野にまつわるプロフェッショナルたち。そんなプロたちが選んだLOST AND FOUNDのアイテムと共にお送りする「行方ひさこのLOST ANDFOUNDなキッチン」。仕事、プライベート共にたくさんのものを見て、真摯に向き合ってきた彼らだからこその、なにかを選択する時の視点やこだわり、向き合う姿勢などを掘り下げていきます。 麻生要一郎 1977年1月18日生まれ。茨城県水戸市出身。家庭的な味わいのお弁当のケータリングが他にはないおいしさと口コミで評判になり、日々の食事を記録したインスタグラムでも多くのフォロワーを獲得。20年に初の著書『僕の献立――本日もお疲れ様でした』を、22年に『僕のいたわり飯』、24年に『僕のたべもの日記365』を光文社から刊行。現在は雑誌やウェブサイトで連載も多数。 Instagram:@yoichiro_aso 今回は麻生要一郎さんの素敵なアトリエにお邪魔して、ポテトグラタンときゅうりのディップをいただきながら、お話をうかがいました。ほっと落ち着ける家庭的なお弁当のケータリングが口コミで広がり、雑誌へのレシピ提供や食や暮らしに関するエッセイの執筆などをするようになった要一郎さん。温かい料理は一体どんな空間で作り出されるのでしょうか。 アトリエに一歩入ると、真っ先に目に入るのは大きなカウンターキッチン。そこには調味料や食器、お鍋など、どれも手を伸ばせばすぐに使いたいものに届くように並べられていて、その隙間にはパートナーが育てているというグリーンや可愛らしい置物などお気に入りのアイテムたちが並んでいます。奥には庭に続く開放的で大きな窓があり、庭の観葉植物の間から気持ちの良い光が差し込んでいます。SNSを見ると、毎日のように友人たちが食卓を囲んでいる姿が楽しそうな麻生家。以前から、写真で見る表情や紡がれる言葉からも滲み出る愛情深さと大らかさに、いつかお会いしてみたい!と思っていましたが、手料理までいただけるとはなんとも役得が過ぎました。 お弁当屋!? 行方:今の仕事を始めたきっかけは何だったのでしょうか。 要一郎さん:編集者の友達の何気ない「暇だったらお弁当を作ってくれない?」という言葉に、撮影用のお弁当を作ったのが始まりです。十数個だったかな。その現場で食べた人が他の現場で頼んでくれたりして、数珠繋ぎに広がって注文が増えていったのが楽しかったし、嬉しかった。ところがある日、とある撮影で美術館での撮影にお弁当を届けに行ったところ、守衛さんが「お弁当屋さんがきましたー!」と大声で叫んだ声にギョッとして。あれ?僕はお弁当屋さんだったんだっけって(笑)。 行方:急にお弁当屋さんっていう肩書きがついた(笑)! 要一郎さん:義母の介護やコロナ禍もあって、お弁当はほどほどでいいかなと思ってたの。ファッションの展示会などにも頼まれてお弁当を持っていくことも増えたんだけど、お昼用に作って持って行ったのに、スタッフの方から「夜中に食べました。美味しかったです!」なんて言われると心配になる。それに展示会は誘惑も多くて、お弁当を20個届けて、7万円のパンツを買って、3万円のシャツを頼んで……コートなんて買ったら目も当てられない! 行方:同じようなこと、ありますあります、やらかしてます。ギャラがほとんど出ないのに、取材に行った先で15万円の壺を買ってしまったり! 要一郎さん:笑。でも、それがあっていろんな方々と知り合いになったり本を出すきっかけになったから、自分にとってのターニングポイントみたいな、ひとつのきっかけになったなと思ってる。 行方: 守衛さんは、お弁当を届けてくれた人をお弁当屋さんとしか言いようがなかったんでしょうね(笑)。 要一郎さん: 笑。雑誌の取材などで、「屋号はなんですか?」と聞かれたりしたけど、自分の名前で受けてるから屋号なんてないし、急に仰々しい名前を名乗っても変だし……肩書きもないので名前でお願いしますって言ってたの(笑)。 行方:今も肩書きはないですよね? 要一郎さん:ないない。 行方:ですよね。出版している料理本に言葉を書いたことによって連載の依頼がくるようになったんですか? 要一郎さん:そうそう。 行方:要一郎さんの言葉って、気取りがなく温かくていいですよね。 来るもの拒まず、受け入れてみる 要一郎さん;僕は光文社から3冊の本を出させてもらっているんだけど、本を出すきっかけになったのは、女性誌にお弁当を持って行ったことがきっかけ。女優さんの取材現場にお弁当を届けに行ったら、しばらくしてその担当者から着信があって、メールならとにかく電話がかかってくることなんてあまりないから、かなりドキドキして。「ひょっとしてあの女優さんがお腹をこわしたんじゃないか….」と思って女優さんのXを見て異常がないか調べてから、折り返しの電話をしたら、「うちの出版社から本を出しませんか」って話だったから、あー、よかったと思って(笑)。 行方:悪いことが起きてないか、調べてから電話したんですね、さすが(笑)!要一郎さんは、目標を決めてゴールを目指してやってきたというよりは、心地よく流されているというか流れているというか、とても自然体ですよね。 要一郎さん:そうそう。みなさん計画的に巧みに計算して行動していると思うけれど、僕は色々と惰性で(笑)。 行方:惰性ではないですよ(笑)。なりたい自分に頑張ってなる人もいるけれど、周りからの押しや推しでならされちゃう、気が付いたらなっていたっていう人もいるし、どちらが良いわけでも悪いわけでもないですよね。...