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行方ひさこのLOST AND FOUNDなキッチン 麻生要一郎編

行方ひさこのLOST AND FOUNDなキッチン 麻生要一郎編

2024/07/04

時代を明るくリードしてくれる、様々な分野にまつわるプロフェッショナルたち。そんなプロたちが選んだLOST AND FOUNDのアイテムと共にお送りする「行方ひさこのLOST ANDFOUNDなキッチン」。仕事、プライベート共にたくさんのものを見て、真摯に向き合ってきた彼らだからこその、なにかを選択する時の視点やこだわり、向き合う姿勢などを掘り下げていきます。 麻生要一郎 1977年1月18日生まれ。茨城県水戸市出身。家庭的な味わいのお弁当のケータリングが他にはないおいしさと口コミで評判になり、日々の食事を記録したインスタグラムでも多くのフォロワーを獲得。20年に初の著書『僕の献立――本日もお疲れ様でした』を、22年に『僕のいたわり飯』、24年に『僕のたべもの日記365』を光文社から刊行。現在は雑誌やウェブサイトで連載も多数。 Instagram:@yoichiro_aso 今回は麻生要一郎さんの素敵なアトリエにお邪魔して、ポテトグラタンときゅうりのディップをいただきながら、お話をうかがいました。ほっと落ち着ける家庭的なお弁当のケータリングが口コミで広がり、雑誌へのレシピ提供や食や暮らしに関するエッセイの執筆などをするようになった要一郎さん。温かい料理は一体どんな空間で作り出されるのでしょうか。 アトリエに一歩入ると、真っ先に目に入るのは大きなカウンターキッチン。そこには調味料や食器、お鍋など、どれも手を伸ばせばすぐに使いたいものに届くように並べられていて、その隙間にはパートナーが育てているというグリーンや可愛らしい置物などお気に入りのアイテムたちが並んでいます。奥には庭に続く開放的で大きな窓があり、庭の観葉植物の間から気持ちの良い光が差し込んでいます。SNSを見ると、毎日のように友人たちが食卓を囲んでいる姿が楽しそうな麻生家。以前から、写真で見る表情や紡がれる言葉からも滲み出る愛情深さと大らかさに、いつかお会いしてみたい!と思っていましたが、手料理までいただけるとはなんとも役得が過ぎました。 お弁当屋!? 行方:今の仕事を始めたきっかけは何だったのでしょうか。 要一郎さん:編集者の友達の何気ない「暇だったらお弁当を作ってくれない?」という言葉に、撮影用のお弁当を作ったのが始まりです。十数個だったかな。その現場で食べた人が他の現場で頼んでくれたりして、数珠繋ぎに広がって注文が増えていったのが楽しかったし、嬉しかった。ところがある日、とある撮影で美術館での撮影にお弁当を届けに行ったところ、守衛さんが「お弁当屋さんがきましたー!」と大声で叫んだ声にギョッとして。あれ?僕はお弁当屋さんだったんだっけって(笑)。 行方:急にお弁当屋さんっていう肩書きがついた(笑)! 要一郎さん:義母の介護やコロナ禍もあって、お弁当はほどほどでいいかなと思ってたの。ファッションの展示会などにも頼まれてお弁当を持っていくことも増えたんだけど、お昼用に作って持って行ったのに、スタッフの方から「夜中に食べました。美味しかったです!」なんて言われると心配になる。それに展示会は誘惑も多くて、お弁当を20個届けて、7万円のパンツを買って、3万円のシャツを頼んで……コートなんて買ったら目も当てられない! 行方:同じようなこと、ありますあります、やらかしてます。ギャラがほとんど出ないのに、取材に行った先で15万円の壺を買ってしまったり! 要一郎さん:笑。でも、それがあっていろんな方々と知り合いになったり本を出すきっかけになったから、自分にとってのターニングポイントみたいな、ひとつのきっかけになったなと思ってる。 行方: 守衛さんは、お弁当を届けてくれた人をお弁当屋さんとしか言いようがなかったんでしょうね(笑)。 要一郎さん: 笑。雑誌の取材などで、「屋号はなんですか?」と聞かれたりしたけど、自分の名前で受けてるから屋号なんてないし、急に仰々しい名前を名乗っても変だし……肩書きもないので名前でお願いしますって言ってたの(笑)。 行方:今も肩書きはないですよね? 要一郎さん:ないない。 行方:ですよね。出版している料理本に言葉を書いたことによって連載の依頼がくるようになったんですか? 要一郎さん:そうそう。 行方:要一郎さんの言葉って、気取りがなく温かくていいですよね。 来るもの拒まず、受け入れてみる 要一郎さん;僕は光文社から3冊の本を出させてもらっているんだけど、本を出すきっかけになったのは、女性誌にお弁当を持って行ったことがきっかけ。女優さんの取材現場にお弁当を届けに行ったら、しばらくしてその担当者から着信があって、メールならとにかく電話がかかってくることなんてあまりないから、かなりドキドキして。「ひょっとしてあの女優さんがお腹をこわしたんじゃないか….」と思って女優さんのXを見て異常がないか調べてから、折り返しの電話をしたら、「うちの出版社から本を出しませんか」って話だったから、あー、よかったと思って(笑)。 行方:悪いことが起きてないか、調べてから電話したんですね、さすが(笑)!要一郎さんは、目標を決めてゴールを目指してやってきたというよりは、心地よく流されているというか流れているというか、とても自然体ですよね。 要一郎さん:そうそう。みなさん計画的に巧みに計算して行動していると思うけれど、僕は色々と惰性で(笑)。 行方:惰性ではないですよ(笑)。なりたい自分に頑張ってなる人もいるけれど、周りからの押しや推しでならされちゃう、気が付いたらなっていたっていう人もいるし、どちらが良いわけでも悪いわけでもないですよね。...

行方ひさこのLOST AND FOUNDなキッチン 麻生要一郎編

2024/07/04

時代を明るくリードしてくれる、様々な分野にまつわるプロフェッショナルたち。そんなプロたちが選んだLOST AND FOUNDのアイテムと共にお送りする「行方ひさこのLOST ANDFOUNDなキッチン」。仕事、プライベート共にたくさんのものを見て、真摯に向き合ってきた彼らだからこその、なにかを選択する時の視点やこだわり、向き合う姿勢などを掘り下げていきます。 麻生要一郎 1977年1月18日生まれ。茨城県水戸市出身。家庭的な味わいのお弁当のケータリングが他にはないおいしさと口コミで評判になり、日々の食事を記録したインスタグラムでも多くのフォロワーを獲得。20年に初の著書『僕の献立――本日もお疲れ様でした』を、22年に『僕のいたわり飯』、24年に『僕のたべもの日記365』を光文社から刊行。現在は雑誌やウェブサイトで連載も多数。 Instagram:@yoichiro_aso 今回は麻生要一郎さんの素敵なアトリエにお邪魔して、ポテトグラタンときゅうりのディップをいただきながら、お話をうかがいました。ほっと落ち着ける家庭的なお弁当のケータリングが口コミで広がり、雑誌へのレシピ提供や食や暮らしに関するエッセイの執筆などをするようになった要一郎さん。温かい料理は一体どんな空間で作り出されるのでしょうか。 アトリエに一歩入ると、真っ先に目に入るのは大きなカウンターキッチン。そこには調味料や食器、お鍋など、どれも手を伸ばせばすぐに使いたいものに届くように並べられていて、その隙間にはパートナーが育てているというグリーンや可愛らしい置物などお気に入りのアイテムたちが並んでいます。奥には庭に続く開放的で大きな窓があり、庭の観葉植物の間から気持ちの良い光が差し込んでいます。SNSを見ると、毎日のように友人たちが食卓を囲んでいる姿が楽しそうな麻生家。以前から、写真で見る表情や紡がれる言葉からも滲み出る愛情深さと大らかさに、いつかお会いしてみたい!と思っていましたが、手料理までいただけるとはなんとも役得が過ぎました。 お弁当屋!? 行方:今の仕事を始めたきっかけは何だったのでしょうか。 要一郎さん:編集者の友達の何気ない「暇だったらお弁当を作ってくれない?」という言葉に、撮影用のお弁当を作ったのが始まりです。十数個だったかな。その現場で食べた人が他の現場で頼んでくれたりして、数珠繋ぎに広がって注文が増えていったのが楽しかったし、嬉しかった。ところがある日、とある撮影で美術館での撮影にお弁当を届けに行ったところ、守衛さんが「お弁当屋さんがきましたー!」と大声で叫んだ声にギョッとして。あれ?僕はお弁当屋さんだったんだっけって(笑)。 行方:急にお弁当屋さんっていう肩書きがついた(笑)! 要一郎さん:義母の介護やコロナ禍もあって、お弁当はほどほどでいいかなと思ってたの。ファッションの展示会などにも頼まれてお弁当を持っていくことも増えたんだけど、お昼用に作って持って行ったのに、スタッフの方から「夜中に食べました。美味しかったです!」なんて言われると心配になる。それに展示会は誘惑も多くて、お弁当を20個届けて、7万円のパンツを買って、3万円のシャツを頼んで……コートなんて買ったら目も当てられない! 行方:同じようなこと、ありますあります、やらかしてます。ギャラがほとんど出ないのに、取材に行った先で15万円の壺を買ってしまったり! 要一郎さん:笑。でも、それがあっていろんな方々と知り合いになったり本を出すきっかけになったから、自分にとってのターニングポイントみたいな、ひとつのきっかけになったなと思ってる。 行方: 守衛さんは、お弁当を届けてくれた人をお弁当屋さんとしか言いようがなかったんでしょうね(笑)。 要一郎さん: 笑。雑誌の取材などで、「屋号はなんですか?」と聞かれたりしたけど、自分の名前で受けてるから屋号なんてないし、急に仰々しい名前を名乗っても変だし……肩書きもないので名前でお願いしますって言ってたの(笑)。 行方:今も肩書きはないですよね? 要一郎さん:ないない。 行方:ですよね。出版している料理本に言葉を書いたことによって連載の依頼がくるようになったんですか? 要一郎さん:そうそう。 行方:要一郎さんの言葉って、気取りがなく温かくていいですよね。 来るもの拒まず、受け入れてみる 要一郎さん;僕は光文社から3冊の本を出させてもらっているんだけど、本を出すきっかけになったのは、女性誌にお弁当を持って行ったことがきっかけ。女優さんの取材現場にお弁当を届けに行ったら、しばらくしてその担当者から着信があって、メールならとにかく電話がかかってくることなんてあまりないから、かなりドキドキして。「ひょっとしてあの女優さんがお腹をこわしたんじゃないか….」と思って女優さんのXを見て異常がないか調べてから、折り返しの電話をしたら、「うちの出版社から本を出しませんか」って話だったから、あー、よかったと思って(笑)。 行方:悪いことが起きてないか、調べてから電話したんですね、さすが(笑)!要一郎さんは、目標を決めてゴールを目指してやってきたというよりは、心地よく流されているというか流れているというか、とても自然体ですよね。 要一郎さん:そうそう。みなさん計画的に巧みに計算して行動していると思うけれど、僕は色々と惰性で(笑)。 行方:惰性ではないですよ(笑)。なりたい自分に頑張ってなる人もいるけれど、周りからの押しや推しでならされちゃう、気が付いたらなっていたっていう人もいるし、どちらが良いわけでも悪いわけでもないですよね。...

小林和人が選んだもの 「耐熱ガラスの話」

小林和人が選んだもの 「耐熱ガラスの話」

2024/07/03

ひとつの物について深く探っていくことで、物選びがグッと楽しくなる。 この連載では、LOST AND FOUNDセレクター・小林和人さんが、このお店で選んだアイテムの中から毎回ひとつをピックアップし、とことん話します。 今回小林さんが話してくれたのは、耐熱ガラスについてです。 急な温度変化にも耐え得るガラス 小林さん:1887年に産業用途向けの「ホウケイ酸ガラス」と呼ばれる耐熱ガラスが登場したそうです。化学薬品に対する耐性、そして急激な温度変化に対する耐性という特性を持ったガラス。通常のガラスを熱すると割れてしまうのは、温度変化についていけないから。でも今回ご紹介するものたちは、熱による膨張が小さめに抑えられる性質のため、例えば淹れたばかりの熱々のお茶に氷をざーーっと入れても大丈夫なんです。 緊張感とともに直火で湯を沸かす時間 小林さん:まずは「トレンドグラス イエナ」のポットをご紹介しましょう。もともとドイツに「イエナグラス」という耐熱ガラスの代名詞的ブランドがあって、バウハウスを代表するインダストリアルデザイナー、ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルトがデザインした製品でも知られており、昔はラウンダバウトでもティーポットなどを取り扱っていました。2005年に生産終了してしまったのですが、結局金型や設備はそのまま引き継がれ、ドイツとハンガリーで生産を再開させたのがこの「トレンドグラス・ イエナ」です。ブランドの存続にも色々な形態がありますね。この、ケトルの実験器具的なデザインがとても気に入っています。火にかけたガラスを眺めながら、沸騰する瞬間を待つのもいい時間です。 パーツ全てとその繋がりの秀逸さ 小林さん:続いては持ち手部分が特徴的なデザインの、「イッケンドルフ ミラノ」のティーポットです。こちらも20世紀初頭にドイツで生まれたのですが、90年代からミラノを拠点にしているんですね。イッケンドルフという名前は創業したケルン郊外の地名なのですが、そこにミラノがつくというギャップに個人的には「Paris吉祥寺」を思い出します(笑)。しかしながら、直線的な実直さと曲線的な優美さの共存がいいですね。蓋や取っ手、そしてストレーナーまでガラス製で、その繋がりがとても綺麗なプロダクトだと思います。ティーポットは重心が高めのものと低めのものがありますので、好みでお選び頂けたらと思います。 余白を楽しむガラスアイテム 小林さん:ヨーロッパの製品が続きましたが、最後は「小泉硝子製作所」のビーカーです。実は昨年、茨城県猿島にある工場にお邪魔してきました。規格品でありながら、実は職人の方たちによる手吹きなんですね。よく見ると一つひとつちょっとした丸みなどが違うんですよね。ガラスの凛とした姿と、手仕事の細やかさにグッときました。ビーカーにはシロップやドレッシングを入れたり、広口のものはコーヒードリッパーと組み合わせてなど、色々な用途に使っていただけそうです。どれも立ち姿が綺麗で、置いておくだけでも楽しむことができる。人によって使い道はそれぞれで、そんな余白が良いなと思います。明治45年に東京都台東区三ノ輪に創業。ホームページにその歴史ある一枚の写真が載っているので是非ご覧ください!(https://koizumiglass.co.jp/?mode=f3) 今回紹介した耐熱ガラス製品は、元々医療用や実験用で作られたものが多くあります。それらを生活の中に落とし込むと、途端に見え方が変わる。そんな見立て心を誘発してくれる存在かもしれません。これからやってくる暑い日々、冷房などによる夏冷え対策として敢えて熱めのお茶で迎えるのはいかがでしょう? <記事内紹介商品> 小林 和人 @kazutokobayashi1975年東京都生まれ。1999年多摩美術大学卒業後、国内外の生 活用品を扱う「Roundabout」を吉祥寺にオープン(2016年に代々木上原に移転)。2008年には非日常にやや針の振れた温度の品々を展開する「OUTBOUND」を始動。両店舗のすべての商品のセレクトや店内ディスプレイ、展覧会の企画を手がける。「LOST AND FOUND」ではセレクターを務める。 interview & text by Sahoko Sekiphoto...

小林和人が選んだもの 「耐熱ガラスの話」

2024/07/03

ひとつの物について深く探っていくことで、物選びがグッと楽しくなる。 この連載では、LOST AND FOUNDセレクター・小林和人さんが、このお店で選んだアイテムの中から毎回ひとつをピックアップし、とことん話します。 今回小林さんが話してくれたのは、耐熱ガラスについてです。 急な温度変化にも耐え得るガラス 小林さん:1887年に産業用途向けの「ホウケイ酸ガラス」と呼ばれる耐熱ガラスが登場したそうです。化学薬品に対する耐性、そして急激な温度変化に対する耐性という特性を持ったガラス。通常のガラスを熱すると割れてしまうのは、温度変化についていけないから。でも今回ご紹介するものたちは、熱による膨張が小さめに抑えられる性質のため、例えば淹れたばかりの熱々のお茶に氷をざーーっと入れても大丈夫なんです。 緊張感とともに直火で湯を沸かす時間 小林さん:まずは「トレンドグラス イエナ」のポットをご紹介しましょう。もともとドイツに「イエナグラス」という耐熱ガラスの代名詞的ブランドがあって、バウハウスを代表するインダストリアルデザイナー、ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルトがデザインした製品でも知られており、昔はラウンダバウトでもティーポットなどを取り扱っていました。2005年に生産終了してしまったのですが、結局金型や設備はそのまま引き継がれ、ドイツとハンガリーで生産を再開させたのがこの「トレンドグラス・ イエナ」です。ブランドの存続にも色々な形態がありますね。この、ケトルの実験器具的なデザインがとても気に入っています。火にかけたガラスを眺めながら、沸騰する瞬間を待つのもいい時間です。 パーツ全てとその繋がりの秀逸さ 小林さん:続いては持ち手部分が特徴的なデザインの、「イッケンドルフ ミラノ」のティーポットです。こちらも20世紀初頭にドイツで生まれたのですが、90年代からミラノを拠点にしているんですね。イッケンドルフという名前は創業したケルン郊外の地名なのですが、そこにミラノがつくというギャップに個人的には「Paris吉祥寺」を思い出します(笑)。しかしながら、直線的な実直さと曲線的な優美さの共存がいいですね。蓋や取っ手、そしてストレーナーまでガラス製で、その繋がりがとても綺麗なプロダクトだと思います。ティーポットは重心が高めのものと低めのものがありますので、好みでお選び頂けたらと思います。 余白を楽しむガラスアイテム 小林さん:ヨーロッパの製品が続きましたが、最後は「小泉硝子製作所」のビーカーです。実は昨年、茨城県猿島にある工場にお邪魔してきました。規格品でありながら、実は職人の方たちによる手吹きなんですね。よく見ると一つひとつちょっとした丸みなどが違うんですよね。ガラスの凛とした姿と、手仕事の細やかさにグッときました。ビーカーにはシロップやドレッシングを入れたり、広口のものはコーヒードリッパーと組み合わせてなど、色々な用途に使っていただけそうです。どれも立ち姿が綺麗で、置いておくだけでも楽しむことができる。人によって使い道はそれぞれで、そんな余白が良いなと思います。明治45年に東京都台東区三ノ輪に創業。ホームページにその歴史ある一枚の写真が載っているので是非ご覧ください!(https://koizumiglass.co.jp/?mode=f3) 今回紹介した耐熱ガラス製品は、元々医療用や実験用で作られたものが多くあります。それらを生活の中に落とし込むと、途端に見え方が変わる。そんな見立て心を誘発してくれる存在かもしれません。これからやってくる暑い日々、冷房などによる夏冷え対策として敢えて熱めのお茶で迎えるのはいかがでしょう? <記事内紹介商品> 小林 和人 @kazutokobayashi1975年東京都生まれ。1999年多摩美術大学卒業後、国内外の生 活用品を扱う「Roundabout」を吉祥寺にオープン(2016年に代々木上原に移転)。2008年には非日常にやや針の振れた温度の品々を展開する「OUTBOUND」を始動。両店舗のすべての商品のセレクトや店内ディスプレイ、展覧会の企画を手がける。「LOST AND FOUND」ではセレクターを務める。 interview & text by Sahoko Sekiphoto...

「BONEARTH TABLE×料理家・ワタナベマキ - 1day サンドイッチショップ」 イベントレポート

「BONEARTH TABLE×料理家・ワタナベマキ - 1day サンドイッチショップ」 イ...

2024/06/10

料理家・ワタナベマキさんが出会ったハワイ・カウアイ島のオープンサンドイッチをご提供いただく、1日限定のサンドイッチショップをLOST AND FOUND TOKYO STORE/NIKKO SHOW ROOM で開催しました。 今年の頭、ハワイ・カウアイ島を旅したワタナベマキさん。 現地で味わったサンドイッチの美味しさを是非皆様にも味わっていただきたい!という想いでスタートした本企画。 健康志向の現地では、野菜たっぷりのフレッシュなサンドイッチをたくさん味わったそう。味わいを再現すべく、ワタナベマキさんが国内で出会ったこだわりと安心安全な食材を使ったオープンサンドイッチが完成しました! 北海道帯広で、自然に寄り添ったやさしいパンを作る、「風土火水」さんのカンパーニュをTURKのグリルパンでゆっくりとカンパーニュを焼き、仕上げにALESSIのフライパンで、ケールをオリーブオイルと塩でサッと炒めあげるワタナベマキさん。 ケールはNIKKOが開発した、世界初の捨てられる食器から生まれた肥料「BONEARTH®(ボナース)」で育てたもの。昨年、ワタナベマキさんと生産者のアグリコネクトさんの農園にも訪れ、生で食べても甘くて美味しい、無農薬のケールです。 フレッシュな、ビーツやアボカドのペーストに、カリカリっと焦げがついたケールが、サンドイッチのアクセントに!甘みのある濃い味に、これはケール?と尋ねる方も多いほど。 卵と鶏肉は、山口県で安心安全な食づくりを行う「秋川牧園」から。平飼いでしっかりと運動している地に足のついた元気な鶏の卵。チキンマリネに使われた鶏肉は、健康な飼料を食べ、よく運動している鶏で、程よい食感の鶏肉に育つそうで、しっとりと素材と絡みあい味わいが楽しめます。 その他、カウアイコーヒー、ハワイのカフェでワタナベマキさんが必ず食べるほどの大好物の濃厚なレモンバーもメニューに加わり、現地の味を再現いただきました。 今回提供された器は、たくさん盛り付けられて、ボリュームのあるサンドイッチプレートにぴったり!とREMASTERED のラウンドプレート26を採用いただきました。 「シンプルで和洋中どんな料理にも合う、ところが気に入っています。リムの幅も、ちょうどよく、料理が美味しく見えて、盛り付けも上手にいくところも、嬉しいですね。」とワタナベマキさん。 約30年前にホテルバンケット向けの中華用取り皿としてデザインされ、その後も様々なジャンルの料理で使用されてきたラウンドプレートがベースになっています。 「使用頻度が高くても丈夫で、本当に嬉しいポイントばかり。」と、朝ごはんや夜ごはんはもちろん、同じサイズをご自宅でも何枚か持っていらっしゃり、人がたくさん集まる時などに、盛り皿や取り皿に使用するなど、ご自宅でも活躍しているそうです。 リム幅を狭くする事でイーティングエリア(料理を乗せるスペース)を広くとられているのが特徴で、さらに指の引っかかりを確保できるような角度をつけつつも立体感のあるデザインに仕上げたプレートです。 レストランだけでなくご家族でも活躍する、ありそうでなかった普遍的なデザイン。フレッシュな野菜や食材が映えるのは、ファインボーンチャイナならではの白さです。 当日は旅の仲間である、フォトグラファー・砂原文さんも参加。 NIKKOのファインボーンチャイナの食器が、肥料に生まれ変わる活動を知り、「さらに広まっていくといいですね!!」と、当日はNIKKO Table Planterを使って、ご自宅の植物で店内をアレンジいただきました。 アボカドや、ドラセナ、ハーブなど、生き生きとした植物が店内に。音楽と共に会場は爽やかな心地よい空気に包まれました。 砂原さんが、カウアイ島で撮影した風景をプリントしたTシャツやポストカードもショップに並びました。 オーガニックコットンの優しい風合いのTシャツは当日のスタッフユニフォームにもなり、着心地の良さが大好評!今後ラインナップも増えるそうです!...

「BONEARTH TABLE×料理家・ワタナベマキ - 1day サンドイッチショップ」 イ...

2024/06/10

料理家・ワタナベマキさんが出会ったハワイ・カウアイ島のオープンサンドイッチをご提供いただく、1日限定のサンドイッチショップをLOST AND FOUND TOKYO STORE/NIKKO SHOW ROOM で開催しました。 今年の頭、ハワイ・カウアイ島を旅したワタナベマキさん。 現地で味わったサンドイッチの美味しさを是非皆様にも味わっていただきたい!という想いでスタートした本企画。 健康志向の現地では、野菜たっぷりのフレッシュなサンドイッチをたくさん味わったそう。味わいを再現すべく、ワタナベマキさんが国内で出会ったこだわりと安心安全な食材を使ったオープンサンドイッチが完成しました! 北海道帯広で、自然に寄り添ったやさしいパンを作る、「風土火水」さんのカンパーニュをTURKのグリルパンでゆっくりとカンパーニュを焼き、仕上げにALESSIのフライパンで、ケールをオリーブオイルと塩でサッと炒めあげるワタナベマキさん。 ケールはNIKKOが開発した、世界初の捨てられる食器から生まれた肥料「BONEARTH®(ボナース)」で育てたもの。昨年、ワタナベマキさんと生産者のアグリコネクトさんの農園にも訪れ、生で食べても甘くて美味しい、無農薬のケールです。 フレッシュな、ビーツやアボカドのペーストに、カリカリっと焦げがついたケールが、サンドイッチのアクセントに!甘みのある濃い味に、これはケール?と尋ねる方も多いほど。 卵と鶏肉は、山口県で安心安全な食づくりを行う「秋川牧園」から。平飼いでしっかりと運動している地に足のついた元気な鶏の卵。チキンマリネに使われた鶏肉は、健康な飼料を食べ、よく運動している鶏で、程よい食感の鶏肉に育つそうで、しっとりと素材と絡みあい味わいが楽しめます。 その他、カウアイコーヒー、ハワイのカフェでワタナベマキさんが必ず食べるほどの大好物の濃厚なレモンバーもメニューに加わり、現地の味を再現いただきました。 今回提供された器は、たくさん盛り付けられて、ボリュームのあるサンドイッチプレートにぴったり!とREMASTERED のラウンドプレート26を採用いただきました。 「シンプルで和洋中どんな料理にも合う、ところが気に入っています。リムの幅も、ちょうどよく、料理が美味しく見えて、盛り付けも上手にいくところも、嬉しいですね。」とワタナベマキさん。 約30年前にホテルバンケット向けの中華用取り皿としてデザインされ、その後も様々なジャンルの料理で使用されてきたラウンドプレートがベースになっています。 「使用頻度が高くても丈夫で、本当に嬉しいポイントばかり。」と、朝ごはんや夜ごはんはもちろん、同じサイズをご自宅でも何枚か持っていらっしゃり、人がたくさん集まる時などに、盛り皿や取り皿に使用するなど、ご自宅でも活躍しているそうです。 リム幅を狭くする事でイーティングエリア(料理を乗せるスペース)を広くとられているのが特徴で、さらに指の引っかかりを確保できるような角度をつけつつも立体感のあるデザインに仕上げたプレートです。 レストランだけでなくご家族でも活躍する、ありそうでなかった普遍的なデザイン。フレッシュな野菜や食材が映えるのは、ファインボーンチャイナならではの白さです。 当日は旅の仲間である、フォトグラファー・砂原文さんも参加。 NIKKOのファインボーンチャイナの食器が、肥料に生まれ変わる活動を知り、「さらに広まっていくといいですね!!」と、当日はNIKKO Table Planterを使って、ご自宅の植物で店内をアレンジいただきました。 アボカドや、ドラセナ、ハーブなど、生き生きとした植物が店内に。音楽と共に会場は爽やかな心地よい空気に包まれました。 砂原さんが、カウアイ島で撮影した風景をプリントしたTシャツやポストカードもショップに並びました。 オーガニックコットンの優しい風合いのTシャツは当日のスタッフユニフォームにもなり、着心地の良さが大好評!今後ラインナップも増えるそうです!...

「継ぐを繋ぐ、その一歩に」金継ぎワークショップの裏側

「継ぐを繋ぐ、その一歩に」金継ぎワークショップの裏側

2024/06/07

堤淺吉漆店(ツツミアサキチウルシテン) 日光東照宮をはじめ、国宝・重要文化財建造物の修復や、国内外の漆芸作家、職人たちに漆を提供する漆原材料メーカー。日本産漆取り扱いトップシェア。一方で、近年の漆需要減少に危機感を感じ、2016年から漆普及活動「うるしのいっぽ」を始動。さらに漆の新しい価値観や可能性を伝える「BEYOND TRADITION」を立ち上げ、環境負荷のない漆塗り木製サーフボードをアイコンに「人と地球にやさしい漆の価値」を世界に発信。さらに木と漆のストロー/suwなど、循環可能なプロダクトも制作し、共感を呼んでいる。2024年4月には漆や工芸をつなぐ新たな拠点「Und.」をオープン。漆を軸に、衣食住様々なワークショップや漆芸教室「うるしの学校」も展開する。第三回三井ゴールデン匠賞授賞。ジャパンクラフト21第一回ロニー賞授賞。Instagram: @tsutsumi_urushi LOST AND FOUNDで不定期に開催しているワークショップの中でも、堤淺吉漆店の「金継ぎコフレ」を使用した金継ぎは一二を争う高い人気があります。そんな人気ワークショップで講師を努めるのは、堤浅吉漆店のパートナーである、漆芸家の間瀬春日さんです。今回は、間瀬さんから漆にまつわるお話しをうかがいます。 継続的に漆と向き合うために 間瀬さんは金沢美術工芸大学で漆について学んだ後、東京芸術大学の「保存修復工芸研究室」で文化財保存学を勉強しながらご自分で作品をつくる作家活動もされています。恩師の先生が「100年後には自分の作った作品もどうなっているのか分からない。」と話しているのを聞き、耐久性のある強い作品をつくるように心がけないといけないということと、誰かが保存や修復をしなければならないと思ったのがきっかけだったそう。なかなか専門的に学ぶ人が少ない保存修復学ですが、長く漆の仕事ができるように制作と修復を継続していけたらと話してくれました。 保存修復の研究をすることで、美術館の学芸員よりも近くで古くて貴重な作品に触れることができます。そして、研究を通じて、自分で作品を作るだけだと出会えないような美しさや合理性を学べることは、間瀬さんの今後のクリエーションにも日本の工芸にも大きな役割があるのではないでしょうか。 漆もいろんな顔があると知ってもらいたい! 間瀬さんは、ご自身で金継ぎすることで生き返らせた器のブランド「KISSAKO」も展開されています。陶芸作家さんから、割れててしまったものを安価で仕入れたり、骨董屋にある割れ物コーナーから購入した器たちに、新たな息を吹き込んでいます。「KISSAKO」とは、もともと「楽にして、お茶を一杯召し上がれ」という意味の禅語「喫茶去」からきています。喫茶去があらわす「余裕」を日々の暮らしの中に作りたい、そんな想いから生まれたブランドです。 金継ぎというと、金で継ぐ煌びやかなイメージがありますが、このKISSAKOは色のついた漆を使用しています。漆にもこんなものがあるんだ!ということを知ってもらいたいという想いと、漆だからというよりも「色やデザインで選んでもらったものが、結果漆だった」でもいいよねという、このプロダクトには実験的要素が強いといいます。 そんな色漆が想定以上に好反応で、個人的な金継ぎの依頼も色漆で頼まれることが多くなってきたとのこと。漆に顔料を混ぜるだけで気軽に作ることができるので、調合によりさまざまな色の漆が手軽に作れるそうです。 今回は、「金継ぎ」とは言いますが金だけではない楽しみをご紹介させていただきました。 手にしたもの、受け継いだものを大切にしていくことはもちろんですが、誰かの手に渡る前に割れてしまった器や、長く人の手に渡り残ってきた器に息を吹き込んで蘇らせたものというのも、また同じく今後大切にしていくべき物。堤淺吉漆店の金継ぎコフレを使用した金継ぎワークショップが、そんな想いを繋いでいくはじめの一歩になることを切に願っています。 ワークショップの体験レポート記事はこちらから。 Text Hisako Namekata

「継ぐを繋ぐ、その一歩に」金継ぎワークショップの裏側

2024/06/07

堤淺吉漆店(ツツミアサキチウルシテン) 日光東照宮をはじめ、国宝・重要文化財建造物の修復や、国内外の漆芸作家、職人たちに漆を提供する漆原材料メーカー。日本産漆取り扱いトップシェア。一方で、近年の漆需要減少に危機感を感じ、2016年から漆普及活動「うるしのいっぽ」を始動。さらに漆の新しい価値観や可能性を伝える「BEYOND TRADITION」を立ち上げ、環境負荷のない漆塗り木製サーフボードをアイコンに「人と地球にやさしい漆の価値」を世界に発信。さらに木と漆のストロー/suwなど、循環可能なプロダクトも制作し、共感を呼んでいる。2024年4月には漆や工芸をつなぐ新たな拠点「Und.」をオープン。漆を軸に、衣食住様々なワークショップや漆芸教室「うるしの学校」も展開する。第三回三井ゴールデン匠賞授賞。ジャパンクラフト21第一回ロニー賞授賞。Instagram: @tsutsumi_urushi LOST AND FOUNDで不定期に開催しているワークショップの中でも、堤淺吉漆店の「金継ぎコフレ」を使用した金継ぎは一二を争う高い人気があります。そんな人気ワークショップで講師を努めるのは、堤浅吉漆店のパートナーである、漆芸家の間瀬春日さんです。今回は、間瀬さんから漆にまつわるお話しをうかがいます。 継続的に漆と向き合うために 間瀬さんは金沢美術工芸大学で漆について学んだ後、東京芸術大学の「保存修復工芸研究室」で文化財保存学を勉強しながらご自分で作品をつくる作家活動もされています。恩師の先生が「100年後には自分の作った作品もどうなっているのか分からない。」と話しているのを聞き、耐久性のある強い作品をつくるように心がけないといけないということと、誰かが保存や修復をしなければならないと思ったのがきっかけだったそう。なかなか専門的に学ぶ人が少ない保存修復学ですが、長く漆の仕事ができるように制作と修復を継続していけたらと話してくれました。 保存修復の研究をすることで、美術館の学芸員よりも近くで古くて貴重な作品に触れることができます。そして、研究を通じて、自分で作品を作るだけだと出会えないような美しさや合理性を学べることは、間瀬さんの今後のクリエーションにも日本の工芸にも大きな役割があるのではないでしょうか。 漆もいろんな顔があると知ってもらいたい! 間瀬さんは、ご自身で金継ぎすることで生き返らせた器のブランド「KISSAKO」も展開されています。陶芸作家さんから、割れててしまったものを安価で仕入れたり、骨董屋にある割れ物コーナーから購入した器たちに、新たな息を吹き込んでいます。「KISSAKO」とは、もともと「楽にして、お茶を一杯召し上がれ」という意味の禅語「喫茶去」からきています。喫茶去があらわす「余裕」を日々の暮らしの中に作りたい、そんな想いから生まれたブランドです。 金継ぎというと、金で継ぐ煌びやかなイメージがありますが、このKISSAKOは色のついた漆を使用しています。漆にもこんなものがあるんだ!ということを知ってもらいたいという想いと、漆だからというよりも「色やデザインで選んでもらったものが、結果漆だった」でもいいよねという、このプロダクトには実験的要素が強いといいます。 そんな色漆が想定以上に好反応で、個人的な金継ぎの依頼も色漆で頼まれることが多くなってきたとのこと。漆に顔料を混ぜるだけで気軽に作ることができるので、調合によりさまざまな色の漆が手軽に作れるそうです。 今回は、「金継ぎ」とは言いますが金だけではない楽しみをご紹介させていただきました。 手にしたもの、受け継いだものを大切にしていくことはもちろんですが、誰かの手に渡る前に割れてしまった器や、長く人の手に渡り残ってきた器に息を吹き込んで蘇らせたものというのも、また同じく今後大切にしていくべき物。堤淺吉漆店の金継ぎコフレを使用した金継ぎワークショップが、そんな想いを繋いでいくはじめの一歩になることを切に願っています。 ワークショップの体験レポート記事はこちらから。 Text Hisako Namekata

「OKUSHIBU ご近所トーク」 VOL.2:FUGLEN TOKYO(代表・小島賢治さん)

「OKUSHIBU ご近所トーク」 VOL.2:FUGLEN TOKYO(代表・小島賢治さん)

2024/05/20

LOST AND FOUND(以下LAF)に来たなら行くべき話題のご近所スポットに、エリアの魅力と自店の紹介をたっぷり話していただく連載。 自然に溢れながら、レストランやカフェ、アパレルや音楽、インテリア、アートなど…様々なカルチャーが心地よく交差する奥渋エリア。私たちがこの場所に店舗を構えたのは、自然の中で商業と住宅が混ざり合い、新旧のカルチャーが共存する独自の魅力を持った街だからです。ココに集うプロフェッショナルとエリアの魅力をとことん話してみよう、と奥渋愛とともに始まった連載をどうぞお楽しみください。 初回のトランクホテルに続き、第二回は東京のコーヒーシーンを代表する店舗「FUGLEN TOKYO」の代表、小島賢治さんにお話を伺いました。 フグレンはノルウェーの首都・オスロで始まったカフェ。小島さん曰く、「すごく小さなエリアに霞ヶ関と北海道のスキー場の両方が一緒にあるような」、中心部は歩いて回れるほどの小さな街です。 ――小島さんはコーヒーを学ぶためにオスロに行ったんですよね。 小島さん「はい。もともと飲食店でサービス業に従事していました。何か技術を身に付けたいと思ってコーヒーの世界に入り、日本のコーヒー事情を考えると海外に出ることが良いと思い、2010年にオスロへ行きました。当時オスロにいた日本人は珍しく、コーヒー業界に来た日本人は初めてだと言われたくらいです。たまたまフグレンが日本オープンに向けて動き始めようとしたところで見た日本人が僕だったから、タイミングで任せてもらえることになったのだと思います(笑)」 もちろん、絶大な信頼関係を築いた上での話だったのだと思うが…そもそもフグレンは、オスロのコーヒーと紅茶を売る店で話し上手のオウムが飼われており、常連客たちが「鳥カフェ」と名付けたのが始まりだそう。ノルウェー語で鳥を意味する「フグレン」がその店の名となった。そして2008年に今のオーナーが店を買い取り、世界中を飛ぶ渡り鳥のような会社にしたいということで、世界最長の距離を飛ぶという渡り鳥「アジサシ」がその象徴となったのだそう。港から港へと飛び、土地の良いものを吸収して次の土地へ行こうという想いが込められている。 ――世界へ羽ばたくということでその一つに日本が選ばれたわけですが、何かオーナーには想いがあったのでしょうか。 小島さん「そうですね。創業者が『2007年・バリスタ・チャンピオンシップ(世界最高峰のバリスタの競技大会)』のノルウェー代表として戦った場所が日本だったんです。日本でコーヒーが盛り上がり始めたんですよね。その時から彼の中では日本に可能性を感じ、早くから東京進出の目標を掲げていました。オスロ、東京、ニューヨークというゴールを持っていました」 ――私たちに日本人にとっては嬉しい話です。憧れの地、ニューヨークに加え、パリやミラノ、ロンドンではなく、東京が選ばれたんですね!そこから富ヶ谷という地はどのようにして決まったのでしょうか。 小島さん「オスロのフグレンの常連客の一人、日本人とノルウェー人のハーフの方が、『渋谷の外れに家があるのだけど、一度見てみないか』ということで物件を紹介してもらったんです。考えていた構想ではある程度の広さが必要だったのですが、あまりいい物件に巡り会えず、まずはここでスタートしてみようということになりました。と言っても、僕自身埼玉県出身、新宿のカフェで修行したものの東京の土地勘はほとんどなく、オスロのスタッフたちももちろん東京をあまり知らない。リサーチせずに決まった感じではありましたね。結果的に公園が近くて遊歩道もあり、渋谷から歩けるけど渋谷のごちゃごちゃさはない。大使館があったりして落ち着いたエリアで…、本当にたまたまですが、とても良いエリアでした」 ――2012年のオープン当初、日本にはコーヒー文化は今のように根付いていなかったですよね。 小島さん「そうですね。ゆっくり、2、3年かけてやり続ける必要があると考えていました。実は僕自身もオスロに行って初めてコーヒーを飲んだときは、レモンを絞ったくらいに酸っぱく感じて嫌いでした(笑)。この国でやっていけないんじゃないかって不安になったくらいです。オーストラリア、特にシドニースタイルを軸に学んでいたので全然違うんですよ。イタリアに近いスタイルで、焙煎が深い。エスプレッソの液体が濃く、風味が爆発するような味で出口が決まっているんです。でもノルウェーは逆に浅煎りで、素材が持つ風味を表現しています。素材が良ければその風味を最大限に生かしたいという考え方で真逆だったので、受け入れるのに少し時間がかかりました。1、2ヶ月飲んでいるうちに自分の好きなものが段々わかってきたんです。どんどんおもしろくなって、のめり込んでいきましたね」 ――カフェを持ってくるにあたり、日本向けに工夫をしていったのでしょうか。 小島さん「いえ、せっかくノルウェーから持ってくるのだから、日本ぽくすることは絶対にしないと誓いを立てて始めました。オスロの日常を日本に持ってきたんです。日本だと、エアロプレスとか、コーヒーのブームがあってコーヒーが売れるようになりますよね。でも僕らはオスロと同じ時間の流れ方を届けたかった。例えば、入り口から入ってきたお客さまに丁寧に『オーダーはこちらです』って言うとすごく日本ぽくなる。オスロの人にそれは気持ち悪いって言われました(笑)」 ――サービスひとつ、ノルウェーのカフェそのままのリラックスした雰囲気を大事にしたんですね。 小島さん「はい。富ヶ谷の店は、僕ともう一人のスタッフが外でベンチに座っていて、お客さんが入ってきたら『こんにちは』と声をかけてどちらかが店内に入って作り出す。そんなリラックスしたオスロスタイルで始まりました。今思うと、そんなフグレンを表現する場所としては富ヶ谷しか考えられないですね。夜はオスロと同じようにバー営業もし、近くの小さな飲食店と行き来してもらっています。日本人にとってはこの時間の流れ方が非日常に写って、結果的に良かったと言われます」 ――今ではもちろんスタッフの方がベンチに座ってくつろぐ暇などなく、連日大賑わいの店舗となりましたね。最近小島さんが店頭に立つことはあるんですか? 小島さん「今はほとんどありません。新店舗オープン時に味を決めたり、スタッフに見せたりすることで現場に立つことはありますが、素材選びや運営に力を入れる立場です。前職でマネージャー業の経験から、ずっと現場にいたいという想いがありました。でもフグレンはどんどん拡大していくような企業でもなく、ゆっくり自分たちのペースでやっていますしね。あと、今の立場を受け入れたもう一つ理由があるとすると、コーヒーの生豆を買うときに、量を買わないと繋がりが作れないということ。コーヒーの味わいは生豆から焙煎をして決まります。だから、今の立場で、生豆を作る生産者と密な関係性を築いていきたいと思いました」 小島さん曰く、フグレントーキョーがオープンして時間をかけずに大人気店となったのは、雑誌「BRUTUS」でのノルウェー特集や韓国の有名俳優来店による聖地巡礼が後押ししたことも要因かもしれないが、やはり店が持つ独自のおしゃれさや働くスタッフの雰囲気によるところが大きいのではないか。派手なプロモーションをするわけではなく、私たちの生活の中には、何の違和感もなくこれまでもあったような佇まいで、いつの間にか存在していた。私たちの生活に寄り添い、いつでも美味しいコーヒーやお酒を温かい雰囲気の中で楽しめる店だ。LAFから歩いて2分。先日取材した「トランクホテル ヨヨギパーク」の斜め向かいという場所で、刺激し合う仲でありたいと願っていたところ…実は素敵な企画が実現したので、ここで少しお知らせを。 FUGLENオリジナルマグカップが完成! フグレンのオリジナルコーヒーカップをNIKKOが製作しました。 小島さん「シャープでおしゃれな形、フグレンのオリジナルカラーであるブルーがしっかりと再現されたカップが完成しました。色には一番こだわりましたね。オスロの始まりが1963年、そして東京が2012年。この年号は必ずカップに入れているデザインです。さすがNIKKOさん、薄さもすごいですよね。NIKKOのロゴを底に入れたのは、メイドインジャパンを伝えたいという考えで、オスロのオーナーも入れて欲しいと言っていたから。とても気に入っています。自宅で毎朝コーヒーを入れているのですが、これからはこのカップを使いたいです」 オスロのフグレンに飾られているスカンジナビア航空の古い世界地図に、今ではフグレンと言えば!となったブルーが使われていたのだそう。ここにも、世界を飛ぶという想いが込められているようだ。LAFでは、オリジナルギフトバッグに、オリジナルマグカップと、FUGLEN COFFEE ROASTERSのオリジナルドリップバッグ(5pcs)をセットにして数量限定で販売されることが決まりました。是非奥渋散歩でチェックしてみて!...

「OKUSHIBU ご近所トーク」 VOL.2:FUGLEN TOKYO(代表・小島賢治さん)

2024/05/20

LOST AND FOUND(以下LAF)に来たなら行くべき話題のご近所スポットに、エリアの魅力と自店の紹介をたっぷり話していただく連載。 自然に溢れながら、レストランやカフェ、アパレルや音楽、インテリア、アートなど…様々なカルチャーが心地よく交差する奥渋エリア。私たちがこの場所に店舗を構えたのは、自然の中で商業と住宅が混ざり合い、新旧のカルチャーが共存する独自の魅力を持った街だからです。ココに集うプロフェッショナルとエリアの魅力をとことん話してみよう、と奥渋愛とともに始まった連載をどうぞお楽しみください。 初回のトランクホテルに続き、第二回は東京のコーヒーシーンを代表する店舗「FUGLEN TOKYO」の代表、小島賢治さんにお話を伺いました。 フグレンはノルウェーの首都・オスロで始まったカフェ。小島さん曰く、「すごく小さなエリアに霞ヶ関と北海道のスキー場の両方が一緒にあるような」、中心部は歩いて回れるほどの小さな街です。 ――小島さんはコーヒーを学ぶためにオスロに行ったんですよね。 小島さん「はい。もともと飲食店でサービス業に従事していました。何か技術を身に付けたいと思ってコーヒーの世界に入り、日本のコーヒー事情を考えると海外に出ることが良いと思い、2010年にオスロへ行きました。当時オスロにいた日本人は珍しく、コーヒー業界に来た日本人は初めてだと言われたくらいです。たまたまフグレンが日本オープンに向けて動き始めようとしたところで見た日本人が僕だったから、タイミングで任せてもらえることになったのだと思います(笑)」 もちろん、絶大な信頼関係を築いた上での話だったのだと思うが…そもそもフグレンは、オスロのコーヒーと紅茶を売る店で話し上手のオウムが飼われており、常連客たちが「鳥カフェ」と名付けたのが始まりだそう。ノルウェー語で鳥を意味する「フグレン」がその店の名となった。そして2008年に今のオーナーが店を買い取り、世界中を飛ぶ渡り鳥のような会社にしたいということで、世界最長の距離を飛ぶという渡り鳥「アジサシ」がその象徴となったのだそう。港から港へと飛び、土地の良いものを吸収して次の土地へ行こうという想いが込められている。 ――世界へ羽ばたくということでその一つに日本が選ばれたわけですが、何かオーナーには想いがあったのでしょうか。 小島さん「そうですね。創業者が『2007年・バリスタ・チャンピオンシップ(世界最高峰のバリスタの競技大会)』のノルウェー代表として戦った場所が日本だったんです。日本でコーヒーが盛り上がり始めたんですよね。その時から彼の中では日本に可能性を感じ、早くから東京進出の目標を掲げていました。オスロ、東京、ニューヨークというゴールを持っていました」 ――私たちに日本人にとっては嬉しい話です。憧れの地、ニューヨークに加え、パリやミラノ、ロンドンではなく、東京が選ばれたんですね!そこから富ヶ谷という地はどのようにして決まったのでしょうか。 小島さん「オスロのフグレンの常連客の一人、日本人とノルウェー人のハーフの方が、『渋谷の外れに家があるのだけど、一度見てみないか』ということで物件を紹介してもらったんです。考えていた構想ではある程度の広さが必要だったのですが、あまりいい物件に巡り会えず、まずはここでスタートしてみようということになりました。と言っても、僕自身埼玉県出身、新宿のカフェで修行したものの東京の土地勘はほとんどなく、オスロのスタッフたちももちろん東京をあまり知らない。リサーチせずに決まった感じではありましたね。結果的に公園が近くて遊歩道もあり、渋谷から歩けるけど渋谷のごちゃごちゃさはない。大使館があったりして落ち着いたエリアで…、本当にたまたまですが、とても良いエリアでした」 ――2012年のオープン当初、日本にはコーヒー文化は今のように根付いていなかったですよね。 小島さん「そうですね。ゆっくり、2、3年かけてやり続ける必要があると考えていました。実は僕自身もオスロに行って初めてコーヒーを飲んだときは、レモンを絞ったくらいに酸っぱく感じて嫌いでした(笑)。この国でやっていけないんじゃないかって不安になったくらいです。オーストラリア、特にシドニースタイルを軸に学んでいたので全然違うんですよ。イタリアに近いスタイルで、焙煎が深い。エスプレッソの液体が濃く、風味が爆発するような味で出口が決まっているんです。でもノルウェーは逆に浅煎りで、素材が持つ風味を表現しています。素材が良ければその風味を最大限に生かしたいという考え方で真逆だったので、受け入れるのに少し時間がかかりました。1、2ヶ月飲んでいるうちに自分の好きなものが段々わかってきたんです。どんどんおもしろくなって、のめり込んでいきましたね」 ――カフェを持ってくるにあたり、日本向けに工夫をしていったのでしょうか。 小島さん「いえ、せっかくノルウェーから持ってくるのだから、日本ぽくすることは絶対にしないと誓いを立てて始めました。オスロの日常を日本に持ってきたんです。日本だと、エアロプレスとか、コーヒーのブームがあってコーヒーが売れるようになりますよね。でも僕らはオスロと同じ時間の流れ方を届けたかった。例えば、入り口から入ってきたお客さまに丁寧に『オーダーはこちらです』って言うとすごく日本ぽくなる。オスロの人にそれは気持ち悪いって言われました(笑)」 ――サービスひとつ、ノルウェーのカフェそのままのリラックスした雰囲気を大事にしたんですね。 小島さん「はい。富ヶ谷の店は、僕ともう一人のスタッフが外でベンチに座っていて、お客さんが入ってきたら『こんにちは』と声をかけてどちらかが店内に入って作り出す。そんなリラックスしたオスロスタイルで始まりました。今思うと、そんなフグレンを表現する場所としては富ヶ谷しか考えられないですね。夜はオスロと同じようにバー営業もし、近くの小さな飲食店と行き来してもらっています。日本人にとってはこの時間の流れ方が非日常に写って、結果的に良かったと言われます」 ――今ではもちろんスタッフの方がベンチに座ってくつろぐ暇などなく、連日大賑わいの店舗となりましたね。最近小島さんが店頭に立つことはあるんですか? 小島さん「今はほとんどありません。新店舗オープン時に味を決めたり、スタッフに見せたりすることで現場に立つことはありますが、素材選びや運営に力を入れる立場です。前職でマネージャー業の経験から、ずっと現場にいたいという想いがありました。でもフグレンはどんどん拡大していくような企業でもなく、ゆっくり自分たちのペースでやっていますしね。あと、今の立場を受け入れたもう一つ理由があるとすると、コーヒーの生豆を買うときに、量を買わないと繋がりが作れないということ。コーヒーの味わいは生豆から焙煎をして決まります。だから、今の立場で、生豆を作る生産者と密な関係性を築いていきたいと思いました」 小島さん曰く、フグレントーキョーがオープンして時間をかけずに大人気店となったのは、雑誌「BRUTUS」でのノルウェー特集や韓国の有名俳優来店による聖地巡礼が後押ししたことも要因かもしれないが、やはり店が持つ独自のおしゃれさや働くスタッフの雰囲気によるところが大きいのではないか。派手なプロモーションをするわけではなく、私たちの生活の中には、何の違和感もなくこれまでもあったような佇まいで、いつの間にか存在していた。私たちの生活に寄り添い、いつでも美味しいコーヒーやお酒を温かい雰囲気の中で楽しめる店だ。LAFから歩いて2分。先日取材した「トランクホテル ヨヨギパーク」の斜め向かいという場所で、刺激し合う仲でありたいと願っていたところ…実は素敵な企画が実現したので、ここで少しお知らせを。 FUGLENオリジナルマグカップが完成! フグレンのオリジナルコーヒーカップをNIKKOが製作しました。 小島さん「シャープでおしゃれな形、フグレンのオリジナルカラーであるブルーがしっかりと再現されたカップが完成しました。色には一番こだわりましたね。オスロの始まりが1963年、そして東京が2012年。この年号は必ずカップに入れているデザインです。さすがNIKKOさん、薄さもすごいですよね。NIKKOのロゴを底に入れたのは、メイドインジャパンを伝えたいという考えで、オスロのオーナーも入れて欲しいと言っていたから。とても気に入っています。自宅で毎朝コーヒーを入れているのですが、これからはこのカップを使いたいです」 オスロのフグレンに飾られているスカンジナビア航空の古い世界地図に、今ではフグレンと言えば!となったブルーが使われていたのだそう。ここにも、世界を飛ぶという想いが込められているようだ。LAFでは、オリジナルギフトバッグに、オリジナルマグカップと、FUGLEN COFFEE ROASTERSのオリジナルドリップバッグ(5pcs)をセットにして数量限定で販売されることが決まりました。是非奥渋散歩でチェックしてみて!...

料理家・冷水希三子さんと作る、牡蠣と菜の花のグラタン

料理家・冷水希三子さんと作る、牡蠣と菜の花のグラタン

2024/03/11

テーブルウエアシリーズ「REMASTERED FREEZER/OVEN」の発売を記念して、料理家・冷水希三子さんによる料理教室を開催しました。 メインメニューは寒い冬のご馳走、牡蠣と菜の花のグラタン。風合いのあるソフトな白さと洗練されたデザインが特徴の「ROUND GRATINDISH」に、焦げ目のついた熱々のグラタンが食卓を温かに包み込んでくれました。今回は特別にレシピをお届けします。 この日の主役は「ROUND GRATINDISH」。やさしい白さと、凛とした佇まいが大人気となっているグラタン皿です。一見小さいと思われる方もいるかもしれませんが、「見た目以上に材料がしっかりと入って、食べ応え抜群のグラタンを楽しめますよ」と冷水さん。さぁ、グラタン調理スタートです! (材料:3~4人分)牡蠣 200g、菜の花 150g、ゆりね 1/2株、ペンネ 40g、バター 40g、強力粉 40g、牛乳600ml、白ワイン 50ml、レモン皮 1/2個分、シュレッドチーズ 適量 (作り方) ①牡蠣を塩水でやさしく振り洗いした後、水で洗い流し、水気を拭く。鍋に牡蠣を入れ、白ワインを加えて強火にかけ、身に火が入ってふっくらするまで煮たら、牡蠣と煮汁を分ける。 *下処理をしないとベシャメルソースに牡蠣の水分が出てしまうので注意! ②菜の花は食べやすい長さに切り、さっと茹でて水気を切る。 ③ペンネは塩を入れた熱湯で茹で、茹で時間の1分ほど前にゆりねを加えて一緒に茹で上げる。 *グラタンの場合のペンネは固茹でではなく記載どおりに茹でるのがおすすめ! ④牡蠣の煮汁50mlを加えた牛乳を鍋で沸騰しない程度に温めておく。 ⑤鍋にバターを入れて中火にかけ、溶けたら強力粉を加えて混ぜながら火を通し、④を3~4回に分け入れながら練る。 *少しシャバシャバな状態で仕上げておくと、完成した時にとろっとクリーミーに! ⑤にペンネとレモン皮を加えて混ぜる。 *ペンネは先に混ぜて、穴の中までベシェメルソースをからませるのがおすすめ! ⑦グラタン皿に牡蠣、菜の花、ゆりねを入れて⑥を加えて、シュレッドチーズをのせたら200度に余熱したオーブンで10〜12分焼く。 料理が完成したら試食スタート!チーズの焦げた色が、より一層食欲をそそり、一口食べた瞬間に笑顔あふれる空間となりました。「一人用のサイズでシンプルなデザインはなかなかない」という感想をいただいたとおり、無駄のない美しいデザインで使いやすいグラタン皿。もちろん、REMASTEREDシリーズの象徴、バックスタンプが刻印され、リッチさも楽しんでいただけるはず。「他のREMASTEREDのシリーズと使い分けて楽しみたい」と、ご自宅での食卓を想像しながらの会話が弾みました。 実は冷水さんがグラタン以外にも彩り豊かな一品メニューを提案してくださいました。「COUP...

料理家・冷水希三子さんと作る、牡蠣と菜の花のグラタン

2024/03/11

テーブルウエアシリーズ「REMASTERED FREEZER/OVEN」の発売を記念して、料理家・冷水希三子さんによる料理教室を開催しました。 メインメニューは寒い冬のご馳走、牡蠣と菜の花のグラタン。風合いのあるソフトな白さと洗練されたデザインが特徴の「ROUND GRATINDISH」に、焦げ目のついた熱々のグラタンが食卓を温かに包み込んでくれました。今回は特別にレシピをお届けします。 この日の主役は「ROUND GRATINDISH」。やさしい白さと、凛とした佇まいが大人気となっているグラタン皿です。一見小さいと思われる方もいるかもしれませんが、「見た目以上に材料がしっかりと入って、食べ応え抜群のグラタンを楽しめますよ」と冷水さん。さぁ、グラタン調理スタートです! (材料:3~4人分)牡蠣 200g、菜の花 150g、ゆりね 1/2株、ペンネ 40g、バター 40g、強力粉 40g、牛乳600ml、白ワイン 50ml、レモン皮 1/2個分、シュレッドチーズ 適量 (作り方) ①牡蠣を塩水でやさしく振り洗いした後、水で洗い流し、水気を拭く。鍋に牡蠣を入れ、白ワインを加えて強火にかけ、身に火が入ってふっくらするまで煮たら、牡蠣と煮汁を分ける。 *下処理をしないとベシャメルソースに牡蠣の水分が出てしまうので注意! ②菜の花は食べやすい長さに切り、さっと茹でて水気を切る。 ③ペンネは塩を入れた熱湯で茹で、茹で時間の1分ほど前にゆりねを加えて一緒に茹で上げる。 *グラタンの場合のペンネは固茹でではなく記載どおりに茹でるのがおすすめ! ④牡蠣の煮汁50mlを加えた牛乳を鍋で沸騰しない程度に温めておく。 ⑤鍋にバターを入れて中火にかけ、溶けたら強力粉を加えて混ぜながら火を通し、④を3~4回に分け入れながら練る。 *少しシャバシャバな状態で仕上げておくと、完成した時にとろっとクリーミーに! ⑤にペンネとレモン皮を加えて混ぜる。 *ペンネは先に混ぜて、穴の中までベシェメルソースをからませるのがおすすめ! ⑦グラタン皿に牡蠣、菜の花、ゆりねを入れて⑥を加えて、シュレッドチーズをのせたら200度に余熱したオーブンで10〜12分焼く。 料理が完成したら試食スタート!チーズの焦げた色が、より一層食欲をそそり、一口食べた瞬間に笑顔あふれる空間となりました。「一人用のサイズでシンプルなデザインはなかなかない」という感想をいただいたとおり、無駄のない美しいデザインで使いやすいグラタン皿。もちろん、REMASTEREDシリーズの象徴、バックスタンプが刻印され、リッチさも楽しんでいただけるはず。「他のREMASTEREDのシリーズと使い分けて楽しみたい」と、ご自宅での食卓を想像しながらの会話が弾みました。 実は冷水さんがグラタン以外にも彩り豊かな一品メニューを提案してくださいました。「COUP...