行方ひさこのLOST AND FOUNDなスタイル ― ayame ファウンダー&デザイナー今泉悠編

2025/02/28

時代を明るくリードしてくれる、様々な分野にまつわるプロフェッショナルたち。そんなプロたちが選んだLOST AND FOUNDのアイテムと共にお送りする「行方ひさこのLOST ANDFOUNDなスタイル」。仕事、プライベート共にたくさんのものを見て、真摯に向き合ってきた彼らだからこその、モノを選択する時の視点やこだわり、向き合う姿勢などを掘り下げていきます。

Ayameファウンダー&デザイナー 今泉悠

1983年、茨城県生まれ。2005年にメガネづくりの道を志し、福井県、鯖江市でノウハウを学ぶ。2010年「アヤメ」を設立し、ファーストコレクションを発表。自社ブランドのみならず、国内外のアイウェアデザインやディレクションも手掛ける。2016年には、スポーツアイウェアブランド「スワンズ(SWANS)」との協業で、高機能かつ極限までシンプルを追求したサングラスを発売。幅広いシーンに対応するデザインと機能性で、同年の「アイウェア オブ ザ イヤー」を受賞した。

今回は、「ayame(アヤメ)」のファウンダーであり、デザイナーでもある今泉悠さんにご登場いただきます。「ayame」は、今泉さんの出身地である茨城県を象徴する「あやめ」と、そこに「目を彩る」という意味を重ね合わせて「ayame」と名付け、2010年に設立したアイウェアブランド。昨年、表参道「フロム・ファースト・ビル」に新しい店舗「ayamerow(アヤメロウ)」をオープンし、益々独自のスタイリッシュな世界観を確立しています。

「ayamerow」がオープンした「フロム・ファースト・ビル」といえば、1975年に竣工し、日本のファッション黄金期を支えた中心的存在の名建築。そんな念願だったビルでの新店舗の空間をお願いしたのは、今泉さんが以前から次にお店を造るなら頼んでみたいと思っていたデザイナーの柳原照弘氏。「外から内へ」「洞窟的」「質量」の3つをデザインコンセプトに空間を設計されているという店内は、2Fへと登る階段から店舗がスタートしているかのように、店外の要素が流れるように店内へと続いています。

今泉さんがメガネブランドを立ち上げたきっかけや新店舗のこと、そしてLOST AND FOUNDから選んでいただいたアイテムのお気に入りポイントなど、ayamerowでお話しいただきました。

ラウンジのような新店舗

行方:「壁や什器の素材感が際立っていて、青いカーテンから少し入ってくる光も美しいしサロンのようですね。落ち着いた店内がとても居心地が良いです。建物の外観に続いていくような内装というか、建物と一緒に内装もデザインされたかのように感じますね。」

今泉さん:「以前から、いつかこのビルで店舗をしたいと思っていたところ、友人のオフィスがここから移転するというのを聞き、すぐに連絡しました。一年ほどは展示会などのイベントに場所を利用していて、その間にデザイナーの柳原さんと時間をかけてじっくり話し合いました。「フロム・ファースト・ビル」が竣工50年ということもありましたし、以前から憧れの場所でもあったので、できるだけ建築に合わせて内装を作ることになったんです。デザインのコンセプトの一つでもある「外から内へ」というのは、建築物のデザインを活かすという意味で、色や質感など、「フロム・ファースト・ビル」の様々なポイントを店舗の内装に取り入れています。

このメガネをディスプレイしている什器は、錆石(さびいし) を切り出して作られています。鉄分を多く含んだ石なので、ゆっくり錆色へと経年変化していくのも楽しみですし、メガネとの質感の対比も面白いかなと思って。この青いカーテンは、コペンハーゲンでの撮影で出会ったテキスタイルブランドのものです。」

行方:「今回、今泉さんがLOST AND FOUNDから選んだのはMOEBEのフレームレス独立型「STANDING MIRROR」。MOEBEは、2人の建築家と家具職人が立ち上げた、コペンハーゲンを拠点にプロダクト、家具、インテリアを制作する北欧のデザインスタジオです。建築的な思考で徹底的に考え抜いた構造によるシンプルで美しいデザインを目指し、すべて自社で設計を行っているというこだわりのブランドです。
「STANDING MIRROR」のどんなところが気に入りましたか?」

今泉さん:「全体のバランスを見るために姿見は2つ作ってもらったのですが、顔を見るちょうど良い鏡がまだなかったんです。この空間に合う置き鏡を探していたところ、ぴったりなものを見つけました。この「STANDING MIRROR」はシンプルで主張しすぎず、軽量の細いワイヤーに鏡を立てかけるだけというシンプルで洗練されているところが気に入りました。錆石の什器にも木にも合いますね。」

メガネへの熱い想い

行方:「 そういえば、ブランド15周年おめでとうございます。ずっと聞いてみたかったのですが、メガネの道に進んだきっかけは?」

今泉さん:「ありがとうございます!僕らも全然意識してなかったのですが、あっという間に15周年になりました。メガネへの道は……実家の周りは田んぼとヤンキーしかなくて、ヤンキーにならないと友達もできないしモテないし(笑)。 それが嫌だったので、田舎を出て東京に行くにはどうしたらいいかを考えて。美容師かなと思いつき、16歳で知り合いの美容室に修行で入りました。そこから、18歳で東京に出てきてメイクを覚えて、東京コレクションなどショーのアシスタントをしたりしていました。

年を重ねることに少しずつ目が悪くなっていったのですが、かけたいメガネがないし似合うものもわからない。とはいえ、目が悪いままだと仕事に影響があるという葛藤が続きました。そんな時に友人の友人が福井のNHKに就職をしてリポーターになり、鯖江のメガネの取材をしているという話しを聞き、面白そうだから今度鯖江に行ってみたいなと思ったのがメガネの道に進んだきっかけです。」

行方:「それが鯖江を知ったきっかけ?」

今泉さん:「そう、それがきっかけで福井県の鯖江ってメガネで有名なんだと知りました。同時期にとある雑誌で特集されていた鯖江のメガネの記事を見て、「ここには自分の欲しいメガネがあるかもしれない!」と意気込んで鯖江に行ったんだけど、ないの(笑)。 技術がすごいということは分かったけれど、僕が好きなデザインはなかった。東京のメガネ屋さんを梯子して、やっと好きなデザインのメガネを見つけたのですが、今度はフィッティングが良くない。海外製品はデザインは良いけれど、アジア人にはフィットしない。だったら作れないだろうかと思い、鯖江の会社に相談したんです。」

行方:「ブランドを作るつもりではなく、自分の特注を作ってもらおうと思ったのですか?」

今泉さん:「そう!ファッション雑誌のデザイナーインタビューの中に「好きな服がなかったから、作ったんです」っていうのがあったのを思い出し、だったらメガネも作れるのでは?と漠然と思ったんですよね。」

行方:「出来上がるまでどのくらいかかりましたか?」

今泉さん:「4年くらいかな。自分で勝手に師匠だと思っている方の展示会を手伝いながら、「メガネとはこうあるべきだ」とかメガネのビジネスのあり方などを勝手に勉強させてもらいました。」

行方:「アジアにおけるメガネブランドを立ち上げるためのブランド戦略とかではなく、自分が似合うものが欲しい!という気持ちだけで始まったんですね。」

今泉さん:「そうなんですよ。欲しいメガネを作ろう!という気持ちと、海外ブランドのデザイン性のあるメガネをアジアフィットにしたら売れるのにという気持ちだけでした。23、4歳で、これはひょっとしてビジネスになるかもしれないと少しずつ思い始め、一大発起してブランドを作るための軍資金を貯めるために2年間くらい、朝は建設現場、夜は解体のバイトをしました。ブランドをスタートするにあたり3、4型を作るのに必要なくらいを貯め、貯まったところで鯖江に行ってお願いをしたのが、ブランドのスタートになります。」

行方:「2年間働いたお金を全て3、4型に注ぎ込むことになりますよね。その3、4型にデザインを絞り込むのは大変ではなかったですか?」

今泉さん:「朝から晩まで働いていましたが、空いている時間にひたすらデザイン画を描いては、自分の作りたいものを研ぎ澄ましていく作業をしました。メイクをするような感覚で、顔写真の上にメガネの絵を描いていましたね。でも、それだとただのスケッチでしかないので、発注をするための製図への落とし込みなど、細かいことは師匠に教わりました。」


忘れられてしまいそうな大切なもの

行方:「ブランドがスタートしてからは、どうでしたか?」

今泉さん:「ブランドがスタートして1年は、全く売れませんでした。メガネ屋さんやセレクトショップへの卸しは、1型1本ずつしか買ってくれないので微々たる数ですし、在庫を負担するのはいつもブランド側なんです。1本売れたら、1本追加注文が入る。それに加えて、工場は量産をする確約をしないとサンプルすら作ってくれないんです。なので、常に1年前には全て発注していますし、世界中からオファーが入るので追加するにも約1年かかります。これがメガネ業界の常識です。だからメガネのブランドってそんなにないんですよ。

そもそも鯖江のメガネ市場はものすごくクローズドです。はじめて訪れた時は、他の業界とあまり繋がりたくない人たちが多い印象でしたし、今も以前とそこまで変わっていないと思います。付き合いを広げようともしないし、後継者がいなくても仕方がないと思っている人も多い。業界の平均年齢も上がっているし、分業制のあり方も見直さないと効率が悪い。外資が工場の買収を始めているし、外国人労働者も増えているし……近い将来、輝かしい日本の技術が消えてしまうのは目に見えている。」

行方:「現地の方々に危機感はあるんですか?」

今泉さん:「全くない!それが問題なんですよ。「後継者いないから、私で閉めるよ!」と笑いながら話す人もいるくらいです。だから、僕がメガネのブランドを辞めるという選択肢はないんです。」

「メガネのブランドを辞める選択肢がない」という今泉さんの言葉には、今後の鯖江のため、日本の技術とメガネ業界のために尽力すると決めた強い気持ちが見えました。忘れられてしまった大切なもの(=LOST AND FOUND)をより良い形で次世代に繋げる、今泉さんのチャレンジが始まっています。

<記事内紹介商品>

行方ひさこ@hisakonamekata
ブランディング ディレクター
アパレル会社の経営、ファッションやライフスタイルブランドのディレクションなどで活動。近年は食と工芸、地域活性化などエシカルとローカルをテーマに、その土地の風土や文化に色濃く影響を受けた「モノやコト」の背景やストーリーを読み解き、昔からの循環を大切に繋げていきたいという想いから、自分の五感で編集すべく日本各地の現場を訪れることをライフワークとしている。2021年より、地域の文化と観光が共生することを目的とした文化庁文化観光推進事業支援にコーチとして携わる。

Interview & text Hisako Namekata
Photo by Moe Kurita

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